かさぱのすとちぱの
雑 記(Private log)



家長私的記録、夢中暦200208.27

 昨日は、タカラの「ワールド・タンク・ミュージアム第2弾(以下「WTM02」)」、全国一斉発売日。相変わらず大ヒットである。TVニュースでまで「社会現象」として取り上げられたAFVモデルのシリーズも珍しい。前回第1弾で私が集めまくったのがIV号戦車J型(お蔭様で15輌調達確定)、今回の第2弾で最も欲しいのはIII号突撃砲G型(後期型)だけである(KVはタイプ違い。増加装甲を付けて簡単にに改造出来そうだが)。もちろん、ラインナップされている他の車種のうちフィンランド軍が使ったのが、それらだけだからである(!)。

 昨日のまだ仕事中の夕方、細君(帰宅途中のちぱ:「旅行記(→タイトルページよりお入りください)」の作者)より携帯に電話があった。
「今アキデパ(秋葉原デパート)なんだけど、いくつ買うの??」
 これに対し私は
「まぁ、とりあえず2つかな」
(この会話をよく考えてみると、「具体的に何を何個」買う話なのか目的語がない。。。)

 私は2100時過ぎに帰宅。夕食後、「本日の戦果」を確認。各自1箱(10個)づつ(と言っても2人だけなんだが)次々と開封していく。III突は合計4輌出て来た。
 1943年から44年にかけて、ドイツからフィンランドに輸入されたIII突は全部で59輌。うち1944年に輸入された29輌は、(「いわゆる後期型」としての特徴が個体により異なるのだが)ほぼザウコップフ砲盾装備と考えると(このあたり断定的な言明を避ける)、あと24輌。。。いや、冗談である10輌ぐらいでいいです(!))

 さて、これまで妻にはAFVのことなど知識は、まるで無い。これから知るつもりもないらしい。ところが箱を開けていくその姿を見ていると、
「あ、へっつぁー。これはなに?やくとぱんたー?ヘンなカタチねぇ。これがかーべーか。細長いわねぇ。あ、シャア専用てぃーがー!」

 。。。恐るべき光景である。普通、戦車に何の知識も思い入れもない人間が発する言葉ではない。更に驚くべきは、細君の衝撃的な告白であった。
 秋葉原から戻り、自宅の最寄のスーパー・ダイエーにもWTM02が入荷されているのを発見、「ウチの旦那が欲しがっているのは、確かIII突だったわねぇ」ということで、事前にそれぞれの比重をメモ(モデルグラフィックス誌vol.214に掲載済み)、III突が「40.24グラム」であることを記憶、「これぞ!」と盲牌で手にした2つを、お惣菜売り場の秤に載せてこっそり計量(!!)、見事にIII突を仕留めて来た。。。(好きな分量のお惣菜を自分でパックに詰める、バイキング方式になっているのだ)

 恐るべし。奥さん。。。「(地球上で最も強力なパワーのひとつとも言われる)主婦パワー」ここに炸裂!!
 どこかで、「こっそりスーパーの秤で計ればよいのだ」という記事を読んだ気がするが、よもや自分の家庭内でそれを実行する人間が出現したことに、背筋の凍る思いである(!)。(か)



家長私的記録、夢中暦200208.20

 去る8月16日、大学時代の模型サークルの先輩が東京へ来るというので、久しぶりに会う。なんでも、「遊就館(靖国神社付属の博物館)の彗星(旧海軍の艦上爆撃機)を見たい!」とのことで、もうひとりこちらの方に居る先輩と3人でお参り。
 私は靖国神社へ行くのは初めてのことであり、毎年8月15日の「いわゆる終戦記念日」には「いろいろややこしいひとたち」も繰り出してきて騒然とするようなことも聞いていたので、どうなることかと一時不安になったが、翌日16日ともなると、なんら「そういうひとたち」も居らず、単に「お盆休みの家族連れ」の方が目立った。
 さてその「遊就館」であるが、7月に新装オープンしたばかりである。流石にきれいな建物&設備である。古代から大東亜戦争までの日本の歩んだ戦争の歴史を網羅している。特に、とかく「なかったこと」にされがちな日本の歴史の暗い部分「大東亜戦争」をヴィジュアルに示す貴重な施設である。。

 。。。と始めて、日本の軍事博物館とフィンランドの軍事博物館、その展示物の扱いの違いについて一筆(ないしイチャモンを)したためようかと思ったのだが、歴史の土台からして違うもの同士(「こちらから戦争を仕掛けて戦った国」と「侵略されて戦った国」とは、戦闘機や戦車ひとつとっても、根本的にソレに対して言うべき言葉も立場も違う)なので、敢えて書きたくはないが、

 「とにかくまず、「悲壮感」を訴えてから見せようとするスタンス」

 は、いかがなものだろうか。事実、戦争の恐ろしさや悲惨さを教えることは必要なことであるが、それ故に展示物の解説に主催者の主観が伴うため、余計に偏った歴史解釈をする人も現れることだろうと思う。単に「客観的な歴史的事実」を教えてくれればいいのに、とも思う。しかしこれが、「軍事博物館」を名乗らない理由のひとつかも知れない。或いは「(加害者側の)うしろめたさ」の現れなのか、とも思う(なんのかんの言って、館の宣伝の最大のウリは、「零戦(ゼロ戦)」なんだが)。
 その零戦も彗星も、非常によくレストアされているのだが(流石、「国」ではなく「民間」がレストアしたものだけはある)、陸戦兵器はどうか。九七式中戦車の現物を見られるのは、AFVモデラーとしても貴重な体験になるが、塗り込められたサビと塗膜の厚さは、本車の装甲板よりも厚いのではないか!?と思うほど哀れな姿である。その他大砲の類も、引き揚げられたままの姿で無理矢理厚く再塗装されている。「当時の過酷な状況下における最期の姿で留めるのが目的」であれば、無理矢理無茶苦茶な再塗装で固める必要はないんである。
 また、「戦争がいかに恐ろしいものか」ばかり見させられた直後に現れる売店で、「零戦や九七式戦車のプラモデル」「陸自迷彩のTシャツ」「90式戦車クツ下(子ども用)」などを「買ってください」と言われても、返事に困ってしまうんである。

 私がこれまで実際に見た軍事博物館というとフィンランドのそれだけなのだが、明らかに彼の国とこの国の、戦争の歴史の(意味の)違いを如実に感じることが出来た。
「これらの兵器を使って戦った(侵略者から祖国を守った)。今はこんなに平和だけどね」
 という見せ方と、
「これらの兵器を使って数多の命が犠牲になりました(こっちから仕掛けた戦争なんだけど)。どうですか、悲惨でしょう??兵器にメカとしての魅力を感じるなんてトンデモナイ!(でも売店では買って欲しいんだけど)」
という見せ方の違いである。

 WW2において歴史上、加害者であるこの国では、単なる「軍事博物館」として独立して運営するのことは、先に書いた理由のために難しいかも知れない。また靖国神社も、純粋に「軍人墓地」であれば(或いは「無名戦士の墓地」が独立していれば)、現在のような「戦没者もうかうか成仏出来ない」状況は違っていただろうに、と残念にも感じる。

 最後に、フィンランドで見かけた戦没者慰霊碑(訪れる町ごとに必ずひとつは見かける)をお示ししたい。日本(いや、私のこの文章自体そうなんだが)のように主観/客観入り乱れて、問題についてごちゃごちゃ言っていない。祖国を守るために戦った兵士達に宗教の違いもなにもありはしない。冬戦争と継続戦争、ラップランド戦争で戦死した兵士に奉げられた碑文(写真はユヴァスキュラ市内で見かけたもの)には、ただ一言、こう記されている:
「KIITOS(ありがとう)」
(か)



家長私的記録、夢中暦200208.03

 暑中お見舞い申し上げる8月、終戦記念月である。おりしもBBSが映画の話題で盛り上がったことでもあり、前回の雑記での「次回予告」通り、映画「プライベート・ライアン」とスピルバーグについて少々言いたい(。。てか、いちゃもんをつけたい)ことがある。
 いったいスピルバーグは何を言いたかったのかわからない
。。結論から書いてしまうとその一言である。「戦争の恐ろしさと理不尽さを痛烈に描きたかった」のか、「ハデなドンパチ、戦車まで繰り出して、今の映像技術で「コンバット!」のアクションを撮りたかった」のか、さっぱりわからない。
 公開当時、私は妻とともに、あまりの前評判の高さに「よく出来た動くティーガーが出てくる」という情報も手伝って、劇場へ観に行った。私はひさしぶりの「第二次大戦:陸モノ映画」なので(いや、WW2陸モノを劇場で観るのは生まれて初めてだった)、てっきり主人公たるヒーローが「ライアン二等兵」であり、その彼が「コンバット!」のサンダース軍曹的な役どころの映画なのだろうと(勝手に期待して)思っていた。ストーリーなど(ネタバレ情報)についてはまったく事前に触れなかったのである。
 ところが、チケットカウンターの列の中で待っている間にポスターを見ると、原題が「Saving Private Ryan(=ライアン二等兵の救出)」とある。「ふーん。ライアンを助けに行く別の『サンダース軍曹』が出てきおるワケやな(で、紆余曲折あった末に、ライアンは救出されて終わるのやな)」と、軽くストーリー展開を踏んだのだが、もうその時すでに物語の大筋は、素人の私に読まれてしまっていたのである。
 幕が開けてオマハ海岸の戦闘シーン。飛び交う銃弾の空を切る音が非常に生々しく、大迫力を目の当たりにした。弾丸が「地面に当たる音」「海面に突っ込む音」「人体を貫く音」「ヘルメットを貫く音」、それぞれの音の違いをここまで再現した戦争映画は、恐らく初めてのことだったのではないかと思う。「これは聞きしに勝るすごい映画になるぞ」と思った。
 そのオマハ海岸のシーンからフェイドアウト/イン、場所は現代のアーリントン軍人墓地(ここで私は「あ、」と思った)。ひとつの墓碑の前に佇む、ひとりの老人。。。(「あーあ、この先読めちゃったよ。。」と思った)。老人の回想シーンで引き続きWW2当時に。。。この後の展開を解説するのが、今回の本筋ではないので省略する。

 観終わった後に出た言葉は「あーあぁ」という「がっかり感」をあらわす言葉だった。映画そのものは時間も手間も金もかかった、凝った作りをしていたのに、である。
 はっきり言って、私は「がっかり」と言うよりも、むしろ頭に来ていた。
 その最たる理由は(勝手な私の主観なのだが)、
実際には、戦争で子ども達全員を失ってしまった人も少なくないだろうに。ひとり息子(ご主人や恋人も、「かけがえのないひとり」である)を亡くされた人も多かろう。そういう人達がこの映画を観たらどう思うだろうか。腹が立つだろうなぁ
。。というものである(「ライアンが救出されなければならない理由」が、「軍部がたまたま見つけた戦死公報:息子兄弟が相次いで戦死、残るは末っ子ただひとり、これはなんとか生きて帰さねばならん、という政治的配慮」というもの)。
 実際にこのような事例が戦時中のアメリカ軍では、あったのか否か知らないが、もしあったとしたら、「問題」として映画で挙げるべきはこのことではないだろうか。
 「戦争の恐ろしさと理不尽さ」を糾弾したいのであれば、「凝りに凝りまくった長い戦闘シーン」や「わざわざホンモノのT-34戦車を大改造してティーガー(なぜか初期型。。閑話休題)を作る必要性」はまったくないのである(前回の雑記で「ニセモノでもいいから、ホンモノを使え」と言っていたことや、あまつさえフィンランドくんだりの戦車や戦闘機を前にして、ウハウハになっている私の言動と矛盾するかも知れないが、あれほど凝った改造戦車は、「ティーガーが主役、または物語に必要不可欠なキャラクター」の映画を撮るときに作ればいいのである。私が「戦争の恐ろしさを端的に示した名作」だと思う作品には、たいてい戦車も戦闘機も登場しない。登場してもそれはホンの端役である。小学4年の頃だったか、何回目の再放送だか知らないが「コンバット!」第77話(日本放送第67話)「小さな回転木馬」を初めて見たときには涙が出た(!))。

 以上、私の個人的見解である(この映画には評価すべき点もあるのだが、根本的な問題点の方が私の目に余りあった)。
 「ドイツ人は全部がナチ野郎」という古臭い固定観念(逆に「ユダヤ人は何がなんでも『いいひと』」ということになりかねない)にも気分を悪くした。 (自分に流れる血のルーツ/歴史的逸話をこの世に残そうと)「シンドラーのリスト」を撮ったり、宇宙における生命は我々地球人だけではないのだ、地球人よ偏狭な考えをやめよう、と)「未知との遭遇」を撮った監督とは思えない。
 また、この監督独特の「心/身が弱者の登場人物(軟弱な兵隊:アパムや、「E.T.」「ジュラシックパーク」では「こまちゃくれたガキども」)を使って、観客(特に女性)の感情移入を容易にさせよう」という手法だが、見ていてイライラする(少なくとも私には逆効果である)。どうもスピルバーグという男が偽善者のように見えて仕方がない。
 我が家にスピルバーグが来ることがあったら、一言「そのへん、どない思うとんねんっ!?」と、とっちめてやるつもりだ(!)。 (か)


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