かさぱのすとちぱの
雑 記(Private log)



家長私的記録、夢中暦2001.12.22.
すっかりご無沙汰してしまった雑記。気がつくともうクリスマス。今年も残すところ一週間である。21世紀最初の年はどうだったであろうか。色々な意味で「思っていたのと違う」年だった。世界中のどこを見てもだ。他に語る言葉を持たない年だ(思いきりどっかの台詞をパクってますが、、)。
幸いにも直接に私の周りでは、「地獄」と呼べるようなことは起こらなかったものの、「地獄」のような情景はTVでいやほど目にした。テロ然り、経済不況然り、犯罪然り。。。子どもの頃から描いていた「21世紀」とはドエライ違いだ。例えば宇宙ステーションは、「金がない」という理由で建設が遅れたり、あげくには大気圏内に落とされるものまであった。
しかしいい方向に「思っていたのと違う」こともあった。例えばこのサイトひとつとっても、そうである。今更言うまでもないが、インターネットの普及によって、しがない一個人が、勝手に言いたい事や見せたいものを全国、否世界に発信することができるようになった。これまで知り合うべくもない人達が交流できる場を持つことができた。このところ色々な方々(それも今までは諸先輩がたのサイトや雑誌などでしか、そのお名前を拝見するしかなかったような人達)がBBSに書き込んで行ってくださり、その都度勉強させられているので、この感もひとしおである。ここを訪れてくれた皆さんに心から感謝の意を申し上げたい。
その他今年は、念願のフィンランド戦車にも触ったり昇ったり、見たこともなかったモノを見、世界中の(と言っても日本と芬蘭だけだが)知らなかった人達とも沢山出遭うことができた。「思っていたのと違」って、感動すら覚えている。
さて、この「(かさぱのすとちぱの)あんてーくし!」も、容量がいっぱいになったので移動することにした。12MBでココまで出来たことも感動的である。いや、容量がいっぱいになったのは戦車の大きな画像ばっかり入れてるからなのだが。。。
年末ギリギリにもう少し更新した上で、なにか書けそうかな?(か)


家長私的記録、夢中暦2001.12.11.
このところ当サイト全体が(だんなの趣味で)、模型・ミリタリネタの話題ばっかりになっているので、このあたりでフィンランドに関する文化ネタをひとつ。

去る12月6日というのは、1917年の芬蘭独立から84年目の記念日だったのだが、現地ではどのようなイベントやセレモニーが行なわれているのか、これまでこの日に芬蘭に居たことがないので、具体的なところはほとんどわからなかった。しかし当サイトからリンクを張らせていただいている「Hello,from Helsinki」のBBS(普段は在芬日本人の奥様達の社交場となっているので、正直、私のようなものはなかなか立ち入りづらい。。。)にて、芬蘭からの現地生情報のカキコみがあり、この日のTVでは、どんなことをやっているかが、ほとんど実況生中継されていた。
それによると:
1) 大統領官邸でのパーティーの模様を、どうやら数時間ぶっ通し(!)生中継でやっている(2千人近いカップルが大統領らと握手して入場するのが、延々と中継されているという)。
みんな煌びやかなドレスに身を包み、各界の著名人も招待されている。 おばちゃん大統領(現大統領はタルヤ・ハロネンTarja Halonenさんという、初の女性大統領である。典型的な「芬蘭のおばちゃん」という風貌もあり(?)、国民からも親しまれているらしい)もドレスアップして踊っているのだろう。

2) 「Tuntematon Sotilas=Unknown Soldiers」なる戦争映画を、3時間ぶっ通しでやっている。

・・・ん?ちょっと待てよぉ。「Unknown Soldiers」というのは「無名戦士」。「若き兵士たち〜栄光の戦場〜」という(アクション大作かのような)邦題でビデオが出ていた、アノ映画のことではないか。 継続戦争における一歩兵小隊の戦歴を描いた、ある人は途中で眠り、ある人は見ている最中で風呂に入り、出てきてからもまったく絵づらが変わっていないことにあきれ、またある人は見た後「旅に出たくなった」と感想を書いてきた、アノ映画のことではないか。
しかしである。ビデオでは2時間しかなかったぞ!!「冬戦争」映画も「芬蘭オリジナル完全版」なるものが存在するらしいので、これもその類なのではないかと想像する(奥様方に「それってアノ映画ですか!?T-54改造のKVエクラナミが出てきて、カサパノスの威力を見せつけらりたり、勇猛果敢な突撃ボートの出てくるヤツ!?ボフォース対戦車砲を湖に沈めちゃうよね!?」なんて聞けるわけもなし。。。)。
。。。。芬蘭の文化ネタと言いつつ、結局こういうネタに落着いてしまう訳である。。。
それにしても独立記念日に継続戦争の映画を延々やったりして、日本の「建国記念日」などと大違いである(所謂「独立」を勝ち取った歴史がない上に、自国に都合の悪い歴史的事実は「なかったこと」にしてしまうのとは大違いである。12月8日にTVで何をやっていたか?「真珠湾」なんて言葉はついに私は聞くことなく終わってしまった)。
恐らく芬蘭人は、この日のこの戦争映画を観て、「独立を守り抜いた先人達の意思・忍耐・勇気・涙」といったものを少なからず自分なりに考えたのではないかと思う(そうでもない芬蘭人も多いようだが、考える機会は与えられている訳だ)。そういった点でも、うらやましい国だと感じる(ま、歴史が違うから仕方がないか)。(か)


家長私的記録、夢中暦2001.12.10.
「ミルスキのガンサイト」について、マキシム高田氏より、貴重なコメントをいただき、投稿文として掲載させていただけけるとのことなので、以下に引用して掲載する(原稿料がタイ焼き1丁でいいのか?):

HP拝見しました。ちょっと誤解があるようなので、できれば、以下の訂正を掲載して下さい。

 1930年代の光学機器は、現在のハイテク機器同様、当時の先端技術です。当時 、欧州で照準器・光学機器を自力で開発・生産できたのは、独・英・仏・伊・ソ連 ・チェコスロバキア・ハンガリーなどがあります。「東欧でもチェコスロバキアは工業国だから理解できるけど、なぜハンガリー??」と不思議がる方もいるでしょうが、ハンガリーにはカール・ツァイスが資本を出した工場があったおかげで、優秀な照準器・光学機器を生産しています。ハンガリー製対空砲用照準器は、当時の日本陸軍も参考にしたとする光学研究者もおります。

 かさぱのすさんは、ドイツが照準器を簡単に渡すとは思えないと推測されていますが、当時のもう一つの先端技術「画像をフィルムに記録できる画期的な小型機」35mmカメラが高額ながら各国に売買されたように、照準器も売買されていても不思議ではありません。
 はたして、件の照準器のルーツがドイツ製かどうかはわかりませんが、フィンランドは、ドイツから戦闘機を供給されているので、そのルートから照準器を購入もしくは、部品の手配をするのは何の問題もありません。そもそも売った戦闘機に付いている構成物だから「照準器だけは秘密です、売りません!」と言っても意味がないのです。
 件の照準器がフィンランド純国産か否かを判断できる知識は、私は持っておりません。しかし、レンズと光学ガラスを提供してもらえば、残りの部品は当時のフィンランドの工業水準であれば、充分に製作可能です。REVIに似ているという特徴から、照準器のルーツがドイツにあると仮定すると、以下の可能性が考えられます。

1)フィンランド向けのドイツ製特注品
 ただ、刻印や銘板が一切ないという点で、これは少々、疑問があります。

2)ノックダウン生産
 ドイツから部品供給されて、フィンランドで組み立てる。これは可能性があります。「照準器、作りたいから、光学プラントと研磨機器一式を売って」と言われれば断るでしょうが、部品を供給するのは問題ないですし、実際、照準器の保安部品は供給しているでしょう。

3)レンズ類のみドイツから供給。残りはREVIをコピーして作る。
これも可能性が高いです。。

何かの参考になればと思い、書きしるしました。
高田 裕久

高田さん、ありがとうございました!なるほど。。。「外形」は組み立てられても、問題はとにかく「レンズ」なわけだ。。。国産機、特にミルスキ各型の製造数は一昨日も示した通り、たかだか60機程度:わざわざそのために巨額の費用を投じてレンズ工場と職人を設立するとは考えにくい上に、アノ戦時中にそんなことが出来るような国であれば、今では大きなカメラメーカーの1つや2つ出来てそうなもんである(が、今もって「芬蘭製カメラ」の話は聞いたことがない)。ついでに先日の家長私的記録文中「(ハンガリーに)ライカの支店工場」と書いたのは私の単に記憶違いだったので、ここで訂正。
貴重なご意見・投稿をいただいたので、お店の芬蘭モノについてちょっと宣伝しておこう。
マキシムさんのHPの新製品情報にも出ているが、本日現在、「冬戦争の戦車1939-1940」(フロントヴァヤ・イリュストラツィヤ写真集)が再入荷されている。また、「芬蘭駐留のドイツ戦車部隊」(芬蘭で出版された書籍。マイナー部隊のマイナー戦車しか載っていないが、芬/英語両方併記なので読みやすい)の本も極若干ながら在庫があるそうで、いずれも特価にて販売中だ。あと掘り出し物の「Suomen Ilmavoimien Historia」シリーズの「ブルーステル(バッファローB-239)」も早いもの勝ち(!)である。いずれも芬蘭モノのひと必携の本なので、ぜひこの機会に手にしていただきたいと思う。(か)


家長私的記録、夢中暦2001.12.08.
「真珠湾」(1941)から60年、1917/12/6の芬蘭独立記念日から84年目の今日この頃(いつからTVも新聞も「パールハーバー」と言うようになったのだ?アノ映画以来か?)。
先日覚え書きしておいた「芬蘭国産戦闘機ミルスキ(=嵐)のガンサイト」について、実物を所有するA氏も「本物かどうかはともかく、これがどういう経緯で作られたものか知りたい」とのことなので、ここで考察してみたいと思う(「なんでも鑑定団」の中島誠之助風に言えば「いい仕事のモンなんですが、惜しむらくは箱に「印」が。。。」ということになるのだろうが(笑))。A氏からの情報によると:

・カナダ在住の芬蘭人がもともと2つ所有していた(1つは芬蘭の博物館に寄贈したらしい)。
・そのカナディアン芬蘭人から、ある日本人コレクターの手に渡った。
・その日本人コレクター氏は近年某ネットオークションに放出、結局A氏がこれを(ガンサイトの値段としては破格の値段で!)落札した。

。。。という経緯をたどったもので、またA氏への売主が公開していた解説によると:

「German Aircraft Interior」という本には「ドイツ空軍の旋回機銃用サイト」として紹介されているが、これは誤りで、「THm/44Kk(Tahatin Malli/44 Kone kivari=芬語で「サイト・モデル44機関銃」の意)」である。
反射グラスの幅5cm、高さ8cm、全高約13cm。反射グラスの前にフィルターガラスが固定され、右側には金属製の照星と照門からなる予備サイトが付けられている。電源コードのソケットにFl32600という、ドイツ空軍の管理番号がついていることから、ドイツの技術援助を受けたようだ。


、、、とのこと。
しかしA氏が改めてよく考えてみると、箱にも本体にもどこにも「コレハみるすきノガンサイトデス」と示す、「客観的に確証できる」ようなことが書いていないくて、「THm/44Kk」という形式表示がステンシルされている以外、あとは「No.40」「43」という番号しか記されていないため、「果たしてホンモノかイナか」という疑問が拭い切れないでおられる(そりゃそーだろー)。
この「No.40」「43」という番号が、果たして何を意味しているのか?
搭載されていたミルスキの登録番号「MY-40」「MY-43」を示していると考えられなくもない(ミルスキIIの生産数が46機であるため。因みに失敗作ミルスキIが4機、改良型ミルスキIIIが10機程度)。

ここでまず考えなくてはならないのは「果たして芬蘭は照準機器を国内生産できたのか?」という点である。
第二次大戦中、欧州において自力で照準器材・光学機器を開発・生産できたのは、独・英・仏・ハンガリー(え?←ライカの支店工場があったらしい)ぐらいなもので、それらの国から他国が「ライセンス生産」で「ほら、こぉやって作れ」と言われても、極めて技術と精度が要求される器材であるため、そうやすやすと作れるものではないらしい(カメラにも詳しいマキシム高田氏のコメント。博学ですねぇ)。
「ノックダウン生産(部品供給されて組み立てる)」なら可能かも知れないが、あの時期に自国のハイテク機器を芬蘭に「はいどーぞ」とドイツが言っただろうか?件のガンサイトはREVIと確かに似ている(というかガンサイトの区別が私にはよく付きませんが)。
また、そもそもこの照準器を別の見方ですれば、誤りと言えど「ドイツ空軍機の旋回機銃用」と解釈できたのなら、「芬蘭空軍機の旋回機銃用(国産照準器)」という解釈も一考ではあるまいかとも思う。
ここでA氏の許可を得て、件の「ミルスキのガンサイト」をお目に掛けたいと思う。


この物件が出品された時は、私も入札状況をチェック(そもそも誰か落札する人がいるのか?)チェックしていたのだが、よもや落札された方と懇意になるとは思いもよらなかった!
「芬蘭の国産照準器」については、追って調査を続けていきたいネタです。どなかた情報またはヒントをお持ちの方、お気付きの方がおられましたら、BBSもしくはメールにてお知らせくださいますよう、お願いいたします。(か)


家長私的記録、夢中暦2001.12.06.
「光る鳴るディープ・スペース・ナイン」の置き場所をどうするかを熟考するも、我が家では物理的に無理があるように思えてならない今日この頃。
おもちゃの置き場所の問題だけなら「ガマンしてもう買わない」とか「小さなスタトレのおもちゃだけに絞る」とか、対応策が取れようが、我が家には(ここをご覧になっている方々のほとんどが同じ問題を抱えておられると思う)、 キットのストック場所、完成品のディスプレイ場所、ほぼ満杯の書庫、というのも慢性的問題となっている。
「だんなの稼ぎを多くして、デカイ家に住みゃやいい」のが最終的解決策なのだが、まずは出来る範囲内から整理していきたいところである。

キットのストック場所↓
まずどう考えても、今さら絶対作らないと自分でわかっているものは売る!または誰かに引き取ってもらう!
また複数持っておきたいキットは、不要部品や余分なランナーを切り離した上で、1つの箱に収める。
手をつけ始めてほったらかしになっているキットの箱は分解する(収めるところがなくなって、必然的に完成させざるを得なくなる!(か?)。BBSにおける、象使いさんのコメントから得たヒント)

完成品のデスプレイ場所↓
棚がいっぱいになったら、保存しておきたいものは箱に放り込んでしまう(ぴえのいす・おじさんちでは、いくつもの「空いた靴の箱の中に無造作に」入れて保管していた!)。
鑑賞に堪えうるものは模型屋さんのケースに預ける、または寄贈する(ウ、ウチのはとても鑑賞には。。。!)。

ほぼ満杯の書庫↓
最近ミリタリーの本は、芬蘭軍関係しか手を出さないように心がけているが、「戦車マガジン」の頃からほぼ毎月買っている(現用車輌特集号は買ってない)「グランドパワー」はもう並べるスペースはない。平積みで、購入後すぐにMacパワーブック520(!)のファイルメーカーに主な項目を保存している。
模型雑誌は(「流血の夏の連載が終わったら止めてもいい」と思っていたが、ついついMG誌だけは毎月購入)、「あっ」という記事が15頁以上ないと買わない(スクラップブックを作ると、いざ「出典はどこ?」という疑問に答えられなくなる場合がある)。

。。。と、偉そうに書いたところで、「買ってから後悔した」ものは流用したり、売って多少に現金化することもできるが、 それより「あの時買っとけばよかった!と後悔する」方が、ずっと精神衛生上悪いと思っているのである(芬蘭軍ネタやスタトレグッズは特に「ある時にしか無い」ことが多い!)。

。。。そういうことなので、「その辺」を相互理解できる人と結婚しよう、ウチはヨメさんのモンチッチ置場などにも、だんなは理解を示しているぞ、よぉ出来た夫婦や!という記録。あーあ。(か)

相対的に私の物置きのスペースが小さいと思うんだけど…(ち)


家長私的記録、夢中暦2001.12.04.
このサイトで書きたいネタは次から次へと出てくる。忘れる前に一度、そのあたりのネタを、ここで少し列挙しておこうかと思う(思い出したのは順不同)。

・芬蘭軍のT-28の1輌の、ツートンの冬期迷彩は白と、青またはグレーとされているが、この青(またはグレー、昔は茶色説もあったらしい)の部分は、実は下地のグリーンが塗り残されているだけではないか?

・空軍機がスキーを装着している写真があるが、すべての機種が「脚を出したまま」飛んでいたのか?

・ボフォース37mm対戦車砲(および各国ライセンス型)の形式分類は?

・「ミルスキのガンサイト」なるものを所有する方からコンタクトがあったのだが、果たしてそれは本物か?

・そもそも照準機器を芬蘭が国内生産することが当時可能だったのか?どこかのライセンス生産もしくはノックダウン生産だったのか?

・パロラの18tハーフはどこへ行ったのか?また博物館にあった頃のような3色迷彩が、戦時中も施されていたのか?

・ラップランドでも「動かないオーロラ」は出現しているのか?(公式に観測されたのは、先日アラスカでのみ)

・芬蘭語の戦記を訳すことは出来るのか?

・以下、気になるネタが次から次へと出てくるのをどうやって抑えるか?などなど。。。泣けてくるな。(か)


家長私的記録、夢中暦2001.12.02.
今日はビッグサイトへ。「ワールド・キャラクター・コンベンション」なる、毎年恒例の、いわば「おもちゃ屋さん大会」があり、ちぱの情報により今年のゲストは「アギト」出演中の要潤氏であるとのこと。私の一番の目的は、終始スタトレグッズ(特に艦船)に終始。
実際の「氷川主任」はやはり若かった(涙)。しかしMCのおねいさんが紹介する際の「G3-X装着員装着員、」という連呼に、改めて「そーか。この人は仮面ライダーじゃなくて、仮面ライダーマンなんだなぁ」と思う。途中、私の真後ろに立っていた女性が突然気を失って倒れてきた(軽い貧血)。「人が気を失って倒れる瞬間ってこういうものか」と思う(すぐに息を吹き返して自力で立ち上がったので何の心配もなかったが)。
ところで前日は秋葉原にて、久しぶりにコミック本なるものを購入。小林源文氏の「黒騎士物語外伝」と「ゲルマンの騎士」。後者には、SSノルトラント師団の芬蘭人義勇兵(!)の活躍する(しかも芬蘭語をしゃべる!)編があり、ちょっと萌え。(か)



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