かさぱのすとちぱの
雑 記(Private log)



家長私的記録 夢中暦200503.02

 相変わらず慌ただしい日常生活が続く中、サイトの更新が滞ってしまった。 当「雑記」のコーナーも、書きたいネタが毎日のように溢れているにも拘わらず、気が付けばもう3月、ひな祭りだ。 前回の「雑記」が「来年も良いお年を」で締めていたので、今年最初のこのコーナーは、開き直って(!)この一言で始めたいと思う。:
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
(あちゃー!)

 トシをとる毎に正月が正月らしくなくなっていくのは悲しいことである。 だからと言って正月の故郷への「帰省ラッシュ」は願い下げだ。 毎年恒例のあの「新幹線の乗車率100%越え」「繁忙期につき割り引きチケットは使えません」には辟易しているし(新幹線に定員以上の乗客を乗せても交通安全法違反にならないことも腑に落ちない)、なによりワタシが帰る場所と言うのは、京都なのである。 修学旅行はもちろん、「そうだ、京都行こう」なんてことを言いながら(どこがそこまでいいのか理解しかねるが!)多くの大衆がやって来る地方なのである。 昔から「観光都市」として賑わう都市であるワリには(面積や人口もたかだか知れており、大工業地帯もなく、税金を払わない寺社仏閣が犇いているために、「観光」で外貨を稼ぐしか儲からない都市であるワリには!)、ホテルや駐車場やコインロッカーといったものの数は、昔から決して需要に追いついていない。 ようやく最近になって、市政サイドもそのあたりに気がつき出したようだが、いやはやワタシには、東京や横浜といった大都市、そこまで大きくない地方都市の方がよほど気が利いていると見える。
 ・・・誤解のないように書いておくが、ここまでケチョンケチョンにワタシが書くのも、自身の故郷としての京都が実は好きだからである。 好きだからこそ、たとえワタシが不在でも(!)きちんと守って欲しいという思いがある。(故郷が好きだという事と、その市政が好きかという事とはまったく別のものである。「郷土愛」という言葉の下にしばしば行政は、そのあたりを勘違いしておられる)

 ワタシには、それが見えた瞬間に「ああ・・・・・帰ってきた・・・・・」と思える場所というのが、実は7つほど在る。
 a)市川市内の我が家
 b)東京駅の赤レンガ(実は札幌白石の名産品)
 c)京都駅(から見た・・・京都タワー)
 d)京都市山科区の実家
 e)ヘルシンキ・ヴァンター空港(の外気に触れた瞬間)
 f)ラップランド(イヴァロ空港もしくはサーリセルカの町)
 g)生まれ故郷である金沢市内の家の跡地

 このうちg)の金沢には、葬式でもない限り(!)ほとんど行く事はない。 a)現住所はもちろんのことだが、特に地方から帰ってきたときのb)東京駅を見て「ああ、帰ってきた。やっぱり家が一番ねぇ」「じゃぁ行くなよ」と、オーソドックスなひとりツッコミをしてしまうのは、当然のことかも知れない。
 e)ヘルシンキやf)ラップランドで感じる、なんとも言えない「郷愁」というのは、非論理的な考え方だが「前世の記憶のようなもの」としか言い様がない。 二度目の渡芬以降、飛行機やバスから降りるたびに「ああ、帰ってきた・・・」と思わず呟いてしまうのだ。 ひょっとすると、ワタシの原風景(自分の人生における最古の記憶)が、「母の背中に負ぶわれて見た雪中の金沢市内」だからかも知れない。

 今年の2月、約2年半ぶりの久しぶりに京都の実家へ(とくに用事もないのに)帰った。
 新幹線が京都駅のホームに入る直前に見える京都タワー。 「おお・・・オレは帰ってきたんだ・・・」と感涙むせぶ思いになったそばから、次の瞬間、「ああ・・・恥ずかしい・・・!」という感情が(!)。 そう、「京都タワー」を見て「なんか恥ずかしい」という感情を抱く京都人は少なくない(だろう!?)。 その内部がどのようになっているのか知っている者は特にそうだと言えよう。(京都タワーについての一過言は後述することにする!)

 それでも、自分の「帰る場所」がこうしていくつも在るという幸福に対して、ワタシは(神様か両親かご先祖様か誰に対してかよくわからないが)感謝の気持ちを持つべきではないかと感じる。 こんな気持ちになるとは、トシを取ったものである。  

ヘルシンキ・ヴァンター空港国際線ロビー2Fを出たところ。
厳密にはこの写真は、ある年の冬に渡芬した際、
帰国する間際に撮ったものである。
「帰ってきた」と思える場所というのは同時に、
去るときに「さようなら・・・我がいとしの・・・」と
感涙咽ぶ場所でもある。
ラップランドを犬ゾリで駆け抜けるとき。
地平線までつづく白銀の世界。
犬達とともに必死に駆け抜ける。
雲が低く垂れ込めた空には、
ドラケンだかMiG21だかがゴーーン!と飛び去った。
ワタシにとって、まさに至福の瞬間!

なんでもない住宅地のなんでもない一角。
幼少の頃から慣れ親しんだそんなところに、
意外と猛烈な郷愁を感じたりするものだ。
写真は京都の実家のすぐそばの、実に汚らしい(!)一角。
知らないひとには ついて行くな。
京都以外の人から見れば
不可思議な物体が写っているのが、おわかりだろうか。
フェンスの下にこんなものが据えてある。
小っちゃい「鳥居門」。
この古い習慣は余所の地方ではあまり見かけない。
つまりこれが言わんとするところは、
「ここで立ちションベンすな!バチ当たるぞ、ゴルァ」
・・・ということである。
確かに思わず立ち小便したくなる立地条件である(!)。

その「ちっちゃい鳥居さん」のそばには、
出ました、京都・滋賀の名物:
「飛び出し小僧」
どこへ飛び出すつもりだ。
そっちは、壁じゃないか!
これではドライバーに注意を促すという
本来の任務から外れてしまってるじゃないか!
以前に紹介した「轢かれコちゃん」と同じデザインだな。
続々と量産される京滋名物「飛び出し坊や」。
今では考えられない年間の完成品数。
「ひとつ完成させてから次のを買いよし!」
昔よく言われた、おかんの声が聞こえてくるようだ(!)。
なんでシャーマン戦車にハマってたんだろ。
実家にはこうした完成品と塗装前段階の戦車群がゴロゴロ。
そのそれぞれに、技術の発達と嗜好錯誤の思い出がある。
未組み立てのストックもまだ一部残っている。
拙い「おこづかい」を貯めて買ったものばかりじゃないか。
たぶん死ぬまで続くだろう、このビョーキ。


家長私的記録・補足:

 京都タワーはワタシの生まれる以前の1964年に完成した、筒状の特殊鋼板シリンダーを繋ぎ合わせた「応力外被構造」という、鉄骨を使った一般的なタワーとは段違いの耐久力を持ったタワーである。 まさに京都の科学の粋を凝らして建造されたランドマーク! 白亜の巨塔に紅の展望室を持ったその特徴的なデザインは、京都の和ろうそくをモチーフとしたものであるらしい。 ホテルやデパート、会議場や遊戯施設をはじめ歯医者に理容室、果てはサウナに大浴場まで備えた、駅前の総合レジャー&カルチャー施設(のはず)なのだが、(京都タワーさんにとっては理不尽なことに)「トホホホホ」という感情が沸いて来てしまうのである。
 その理由の一つには、(それを全国に映し出す各種メディアの画角の影響も大きいのだが)いかにも取って付けたような「京都どすえぇ〜!」という圧倒的な存在感・自己主張に対する京都人の「おくゆさしさ」に基づく嫌悪感、或いは逆にある種の「畏敬と畏怖の念」にあるのだろうか。 建設当時から京都市民の間では物議を醸したそうなので、これ以上その「存在感」については言うまい。

 ただし、ワタシが京都在住だった頃の1993年公開の「ゴジラvsメカゴジラ」は、「ついにゴジラが京都に来る」「駅前で放射能火炎を吐くらしい」という理由(だけ)で友人と劇場へ観に行ったのだが、この時の様子は記憶しておくべきだろう。 つまり、ゴジラが京都駅前を通過するとき、(なぜか理由もなく)京都タワーを放射能火炎の一撃の下に粉砕してしまうスペクタクルが我々の眼前に繰り広げられたときのこと・・・・・誰ともなく客席から拍手が起こったのである(←実話)。

 「トホホ」なもう一つの理由は、先にも述べたその「内部」である。 デパート(売場面積そのものはかなり広い)には「京都」を売り物にしたいのかなんだかよくわからない「イヤゲもの」がところ狭しと目白押しであり、そのテが好きな人にはタマラン空間である。 そしてワタシは幼稚園の頃に一度と、数年前にもう一度しか昇ったことがないのだが、展望室の階下に、めくるめく古都:京都の大パノラマ展示(!?)が「トホホ感」満点に広がっている。 ここで驚くべきは、開業当時からなにも変わってないということである(!)。
 つまり外も内も、京都の持てる(1960年代の!)科学と技術の粋を凝らして作られた京都タワー、実はワタシとしては「恥ずかしいけど・・・嫌いじゃないの☆」といったところなのである。

 京都駅と周辺の大改築によって、今では新幹線がホームに入ってくるときには、その直前にしかその姿を捉えることは難しくなった。 そして見えたそばから次の瞬間には巨大なホテル・グランヴィアの陰に隠されてしまうのである!(ワタシの感情を察したかのように!)
 京都タワー、残っているうちに(いや、こうなったらもう、あのまま残すべきだ!)、ぜひ一度この「パラダイス」にお立ちよりいただきたい(京都でどうしてもヒマを潰さなきゃならなくなったときに!)。 (か)


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