”なんで履帯のセンターガイドが転輪シャフトに当たらないで済んでるんだ〜疑惑”
PHASE:4
Suomen Landsverk Anti:n misteerio


 これまでのおはなし−−−−−

 はじめに「アンティII」(実機写真集「ランズベルク・アンティ」参照)がつくられた。 1930年代にスウェーデンのランズヴェルク社が開発したL-60軽戦車系列の対空戦車である。
(余談ながら、「LANDSVERK」をweb上や一部の文献において「ランベルク(ランヴェルク)」と表記している向きがある。当のスウェーデン人がどう発音しているかは未確認で甚だ疑問だが、スウェーデン語では「−DS−」という綴りのリエゾンを、通例では「−ヅ−」と発音するはずではないだろうか。恐らく、有名なトラクターメーカー:ドイツの「LANZ(ランツ)」社とごっちゃになっている向きもあるんではないかと思うが、はて?)

 1942年にフィンランドがスウェーデンから輸入して(ケナゲにも単価を安く抑えるために武装オプションなしで。「あぁ、ボフォースの40mm機関砲ならウチにありますからありますから!」というやり取りをしたかどうかはわからないが)、ソ連軍の侵攻を阻止する一助を成し(1944年6月の大攻勢でも、1両の損害もなくソ連機10機を撃墜した実績)、終戦後もフィンランドの空を見守り続け(訓練用とはいえ1966年まで現役)、今はようやく博物館に安息の地を得て60余年。
 そして極東の国のごくごく一部の人間の間で物議を醸すことになった、あまりにも馬鹿馬鹿しい疑問・・・「なんで履帯の(長い長い)センターガイドが、上部転輪のシャフトに当たらないで済んでるんだ〜??」。
 2003年に端を発した上部転輪構造のこの謎は、ついに、そのクライマックスを迎える・・・。

 そう・・・トンデモな写真を見せられて、その写真の真偽を確かめに行くところまでやって来たのである。

 では、前回PHASE:3で思わずボカシを入れてしまった写真を、撮影者本人の承諾を得て公開することにする。
 問題の部分について、当時は苦労して加工したのだろうが、その加工があんまりにも恥ずかしいので、無修正で公開するのを躊躇してしまった意味がよくご理解いただけるのではないかと思う(今ではVOLVO社の一部になっているLANDSVERK社が、過去の恥部を外国人に晒されまいと、当サイトに圧力をかけてくるんではないかと気を揉む(!))。

 わざとらしい長い長い前振りが置かれて、そろそろイライラしてきただろう!?
 さぁ・・・次のメールと写真を見て、果たして貴方はその事実を信じることが出来るであろうか??

 メールの主は、お馴染み我が家の近所の模型店店主でもあり模型プロデューサーのマキシム高田氏と共に渡芬された、同店HP管理人であり模型設計士でもある、タヌタヌ岡田氏。 2004年夏に渡芬されると聞き、ワタシが「『あの部分』の恥ずかしい写真」を撮って来てくれるように依頼しておいたのは、実はこの両氏になのである。

 次の一文は、岡田氏が速報として現地からワタシの元へ送ってくれた、メールの一部である。 こんなメールをフィンランドから送ってくれた岡田氏には感謝感激で言葉もないが、こんなメールをフィンランドくんだりから送りつけられる方も送りつけられる方である(!)。 曰く:

 本日パロラにて、ランズベルグアンティの上部支持転輪を確認してきました。
添付写真の通り、軸はやはりセンターガイドを逃げる構造になってました。
車体側につながっている軸と同じ太さの円柱を、上3/4ほどU字型に削った構造ですね。これで今日からゆっくり眠れます(笑)。



・・・!!
・・・これは明らかに
・・・後で気がついて
ゴリゴリ削りやがったな!!

 明らかに、「センターガイドが長すぎたこと」に対して「上部転輪軸の位置が高すぎたこと」に、キャタピラを履かせた後で気がついて加工してある。 あぁ恥ずかしい!
(車両や金属ではないが、同じ加工屋を生業としているワタシには身につまされることである。よくわかるわかる・・・あるよなぁ、こういうこと・・・おぉヨシヨシ、泣くな泣くな>ランヅベルクさん!)

 因みに岡田氏によるこの写真は、戦車博物館(パロラ)所蔵の車両である。 ここでもう一つ注目すべきは、実走して帰ってきたまんま、こびりついた土が生々しいことである。 これじゃぁ履板の長細いセンターガイドがバキボキ折れるはずだ、と納得!

 そして2008年8月、ワタシは再々々々・・・度(回数だけは両手の指で数えられなくなった)フィンランドへ飛んだ。 遂に自分の目でアレを確かめに。 恥ずかしい部分がどんなに恥ずかしいことになっているのか、世に知らしめてやるのだ!!

 もしもファラオが実際に紅海に行っていたら体験したであろう、目の前で本当にチャールトン・ヘストンが海を真っ二つにしていた時の衝撃とはこういうことだったはずである。(もっともこの場合、割れていたのは紅海ではなく、アンティの上部支持転輪の軸なのだが(!))

 この目で確かめてきた詳細は、次項PHASE:5で明らかとなる。
 しかしそこには、予想だにしなかった現実が待ち構えていた!!


2008.08.27(か)

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