ダグラスDC-2-115E「ハンッシン=ユッカ」号

冬戦争中、スウェーデンのカルル・グスタフ・エリクソン・フォン・ローゼン伯爵
(フィンランド空軍の祖:エリック・フォン・ローゼン伯爵の子息)が、
父に代わって義勇軍として馳せ参じる際、2機の戦闘機と共にこの旅客機を
自費で購入(!)し、さらに爆撃機に改造して(!!)持ち込んだ飛行機。
その「男気あふれる武勇伝」に比して、爆撃機としての効果は甚だお粗末な結果だったものの、
すぐに輸送機に改造(復元?)され継続戦争中から戦後まで活躍、フィンランド史に名を残した1機。
空軍からリタイヤした後はカフェにされた(!)時期を経て、長らくティッカコスキの空軍施設内に
一般非公開のままに保存(保管)されていたが、2009年から三年がかりで見事にレストア。
その後、展示場所問題もクリアになった2015年6月に、一般公開となった。

以下は2015年秋に、トゥーロネン・ショッピングセンター内「格納庫」を訪れた際の撮影。


クソ田舎のたいへん長閑な田園地帯のショッピングセンターの中に、おわす!
高校生の頃に「北欧空戦史」を読んだ体が、感動に震える。
1955年を最後のフライトに現役を引退し、その後、長い眠りに就いていたのだ。


専用の格納庫があつらえられ、継続戦争中(輸送機として使用されていた)1944年夏当時の
姿に復元されて鎮座している。
(ただし本機の復元には、別のDC-2:「DO-3(Pikku-Lassi)」の遺骸も「献体」される等しており、
決して全てが「本当の当時のカラダ」ではないということを、念頭に置いておく必要がある)


「博物館」ではなく単に「単機の格納庫」なのだが、その経歴やスペックは紹介されている。
(エンジン(moottorit)の項目で「Shvetsov M-66」とあるが
・・・本当は「M-62」なことは「察して」あげてください(苦笑))


機首に書かれた、威風堂々の機体名!(要注目のディテールも、アレコレ目に付く)
「ハンスのユッカ」というのは、19世紀末にその名を轟かせたギャング一味の名前に因むらしい。
(が、爆撃機としては、その仰々しいアウトローの名前とは大違いの成果だったのだが・・・)
わかりにくいネーミングなのだが、外国人の感覚では何が近いのだろう・・・
「ビリー・ザ・キッド」「アル・カポネ」「三億円事件」「ハカイダー」みたいな感じ?(違うか)

コクピット上部に備えられたアンテナ(空中線の)支柱と、後方にループアンテナ。


オランダKLMからフォン・ローゼン伯爵に払い下げられ、1940年3月1日の
冬戦争での爆撃行の武勇伝は、中山雅洋氏の「北欧空戦記」で日本語で紹介された。
(写真は、手前の茫然自失のオッサン(ワタシ)が邪魔っけだが・・・許してくれ)


機体内部への入室は禁じられているが、キャビン入り口から覗き見ることは出来る。
ウチのおばちゃんの背丈と比較しても、そのドアや入り口のサイズの小ささが実感できるだろう。
(マンネルヘイム元帥も搭乗した機体だが、やたら背の高いあのヒト・・・窮屈だったろうなぁ)

白地に青い鉤十字は、いみじくも父:エリック伯がフィンランドに伝えた「幸運のシンボル」。
その子息による「伯爵の爆撃行」の直後、2ヵ月後には再改造(爆撃機能を撤去!)されて、
継続戦争中は写真偵察や輸送機として活躍。


キャビンのドア内側のディテール


キャビン内。 窓のブラインドがカーテンだったり、
頭上のロッカーが網棚だったりするところに時代を感じる。
因みに爆撃機時代に天井に据えられた(無理やりな)回転銃座の痕跡は内側からは見えない。

座席の鋼管フレームがずいぶん華奢で、これに座ってフライトしていたと思うと、怖い。
1959年からハメーンリンナに於いてカフェとして、それまでの航空機としての内装を一掃されたうえで、
1981年まで営業(!)していたそうだが、今はレストアによって元通りに復元されている。

キャビン入り口すぐ右手脇のギャレー(と言っても単にラック)。
因みに、この奥がお便所(機体右舷側に寄せられている)。

右足の足元を見下ろしたところ。
機体内外のドアロックのラッチやデッドボルトが出入りする角穴なども確認できる。
ギャレーの下にあるラックは扉付き2段。

キャビン入ってすぐ左手を見る。
(恐らく客室内の照明用の)トグルスイッチなどのディテール。

キャビン入り口ドアの真正面、最後尾の客席の後ろには非常口(?)。
(トイレの真ん前だ)

左舷側。
エンジン、排気管、主車輪、着陸灯の位置関係。


着陸灯を前から見ると、薄いカバーが外からネジ止めされた黄色い本体がよく見える。
また周辺は小さい無数のリベットが並ぶ。


機首部の胴体下面。
突き出したアンテナや、各種アクセスパネル、そして無数のリベット。


機首の真下を見上げた。
独特の形状の機首や、複雑に組み合わさったパネル。
(「DO-3(Pikku-Lassi号)」の残骸から「使える部分を存分に使って」復元された部分だ)


反対側(右舷側)から機首部を見る。
一直線に這うように無線アンテナ。


左舷側胴体を後方から。
主翼の角度やエンジンの位置関係。


キャビン入り口付近に寄る。 ドアとハッチ、マーキングの位置関係など参考になる。
主翼と胴体の接合部の絶妙な曲線。


ドアの後方、四角いハッチのディテール。

コクピットに出入りするドア付近。
実はカフェに改造された頃に、このドアが大きくされた(高さが変わった)ので、
何らかの痕跡が残っているかと注目した。

カフェ時代にはコクピットの窓の高さまであったドアの上辺だが、
このレストアでは、きちんと「継続戦争中のドアの大きさ」に戻されている。


入り口が無いのでどうしても、写真が比較的残りづらい右舷側。
ディテールも完璧にレストアされている。
ハカリスティ斜め上の丸い小さな窓は、実は「トイレの灯り取り」の窓だ(!)。

引き続き、機体下部その他細部に迫ってみる


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