戦時中のフィンランドで照準機器を国内生産することは可能だったのか!?
(ミルスキ戦闘機のガンサイト!?)

PHASE III



 。。。例の照準器がホンモノである公算が高くなった「PHASE II」から数週間後、2002年末から翌2003年正月まで私達夫婦は渡芬した。おりしも日本を経つ前には、フィンランドでミルスキ戦闘機について(だけ!)の本が近々出版されるというニュースを雑誌で目にしていた。世の中がミルスキ戦闘機を巡って動いている!。。。そして、私達がフィンランド現地で発見したものとは。。。!?



 冬の旅といえばいつもラップランドへ行くので、ヘルシンキ=ヴァンター国際空港に着くとすぐに北へ向かう国内線に乗り継ぐ。乗り継ぎの時間がたっぷりあるので、いつも航空博物館に行く。今回も(私にとっては)お馴染みの展示物が目白押しである。しかし「前回はあったのに、今回はどこにも見当たらない」とか、またはそのまったく逆に「前回まではなかったのに、今回初めて目にする展示物」があることが珍しくない。

 今回もまたそんな展示物が現れた。木で作った簡単な枠の上に、なんとも無造作に置かれている。なにかの増槽(=予備燃料タンク。航続距離を伸ばすために、しばしば戦闘機の翼や胴体にぶら下がっている)であるらしい。ここが航空博物館でなかったら、単なる「汚れきった建築資材かなにか」に見えることだろう(!)。
???

???(後に、実は上下逆さに置かれていることに気付かされる)

 。。。果たして何の増槽か? 展示物の上にぽつねんと置かれたメモ書きのような案内を見て、思わず息を飲んだ。。。



 VL MYRSKY II(1944)!!
 。。。なんと、ミルスキ戦闘機の増槽!!(「VL」は「Valtion Lentokonetehdas:国営航空機工廠」の略)
 まさかこんなモノが現存していたとは!確かにこれを両主翼の下に1つづつぶら下げた機体の写真は存在している(手近な和書では「第2飛行団戦闘機写真集(大日本絵画刊。「Suomen Ilmavoimien Historia:17 LeR2」の邦訳版)」にも1枚掲載されている)。ミルスキIIは就役後まもなく、100kg爆弾(すでに純然たる「迎撃戦闘機」としての能力不足を自覚していたためか(?)、速度が遅くても事足りる「地上襲撃機」的能力を身につけられた)、またはこの150g増槽(これにより航続距離が650kmから1100kmになる)を1つづつ取り付けられるハードポイントが両翼下に設置された。ミルスキ戦闘機そのものは残念ながら現存していない(と思われる!)のだが、このような予備部品なら残っているということか。続いてこの展示物を示す名称が、フィン語/スウェーデン語/英語で書いてあり、さらに驚かされた!:


 。。。WOOD!?。。。つまりミルスキの増槽は、フィンランドのお家芸:木製だというのだ!!(同時代の他国の戦闘機の増槽といえば、金属製(例えばドイツのMe109の増槽)、丈夫な紙製やプラスチック製というものがほとんど)。よく見ると確かに、塗装が剥がれ壊れている部分の縁を見ると、ベニヤ板のような木目が露出している。この国の博物館には、まだまだ未公開の貴重品が眠っているのだ。
 ついでに博物館のマネージャーにミルスキの照準器のことを聞いてみたが、膨大な資料が山積みになっている資料室に案内されるも、残念ながら決定的な資料は出て来なかった(逆に資料が膨大すぎて手に負えなかった、とも言える。おまけにお互いがトンチンカンな英語で会話していたことも問題である(^^;))。

 まず初日からこのように驚かされた旅であるが、旅の最終日近くには模型雑誌「PIENOIS MALLI」編集長「ぴえのいす・おじさん」ことペデルセン夫妻と、模型店「Tmi:Kuivalainen」店長クイヴァライネン氏に再会し、そのいずれからも「こんな本が発売になったところだ。ウチにはまだサンプルしかないんだけどね」と教えてもらった本は、ナニあろう旅行前に新刊案内を見た、「Valtion Lentokonetehdas MYRSKY(Jukka Raunio著:Forssan Kirjapaino oy/2002)」であった!この本の出版はフィンランド本国でも(マニアの間では;)、大きな話題になっているようである。
 クイヴァライネン氏から余分な1冊を譲り受けることが出来(Kiitoksia,Martti!)、その中に掲載された一枚の写真を見て驚いた。1944年9月に撮影されたとされるミルスキ「MY-16」号機のコクピット正面、搭載された状態の照準器の鮮明な写真が載っていたのである!!(その写真をここに掲載するのは倫理的にギモンなのだが、ご覧いただけないとハナシにならないので、部分掲載させていただく)
。。。反射グラスの横に飛び出している直接照準器、下部から伸びる電源ケーブル(ぐったぺるか!)など、この外見は、A氏所有の照準器とまったく同じ形状である。しかも、「MYRSKY」の巻末にはミルスキ戦闘機のスペック諸々が、試作機(「MY-1」号機)と量産型(「MY-5」〜「-51」号機までのミルスキII)に分けてリストアップされており、その中になんと照準器についての記述があった。それによると、試作機の欄ではドイツ製「Revi3c照準器」となっており(←因みにこれは、ライセンス生産した「フォッケル」D-XXIや、「ブルーステル」バッファローのコピー版「フム」試作機にも搭載されていた)、量産型の欄では「TH-m/44KK」。。。そう、A氏の箱に記載されていたあの胡散臭い名称(^^)が書かれていたのである!!
 ついに、写真はもちろん具体的にその名称を明示した文献がはじめて出て来たことに、とてつもなく興奮した!!
(なお翌日、ヘルシンキ最大の書店「Akateeminen(アカデミア書店)」を訪れたところ、同書が2冊並んでいた(!)。フィンランドのモデラー/アマチュア研究家に心底謝りつつ、日本で待つ「泣いて喜ぶA氏」らのために買い占めてしまった! 帰国後、この重大な展開に居ても立ってもいられず、早々にA氏と連絡に取り、某所で落ち合うことにした。本と写真を見た途端、A氏も唖然・愕然としていた。そのまま放っておいたら、開いた口を今でも開けつづけていることだろう!)

 謎のミルスキ照準器。。。それまでは「Lentäjän Näkökulma(これまた実はJ.Raunio氏の著作。Forssan Kirjapaino oy/1991)」という書籍に載っている、マニュアルから転載された小さなイラストしか目にしたことがなかったのだが、いよいよ写真が出て来たことにより我々取材班は、A氏がかつて破格の値段で購入した照準器が、歴史的に極めて貴重な遺物であることに確信を持つに、至った!!(←がーんっっ!田中信夫氏のナレーションで!ほぼここで結論!


 しかしこれでまた、ホンモノである「可能性」が「確信」に至ったが故に、「PHASE II」エンディングと同様、博物館に照会することを躊躇している現在である(「盗品をめぐる国際問題(!)」になりかねない!?)。。。しかしここまで来ればもはや、博物館ないし空軍に問い合わせるしかないとは思っているのだが。。。(^^;)

(つづく??)

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