戦時中のフィンランドで照準機器を国内生産することは可能だったのか!?
(ミルスキ戦闘機のガンサイト!?)

PHASE I



ここから先は基本的に、「雑記2001.12月分」にて公開した「芬蘭国産戦闘機ミルスキ(=嵐)のガンサイト(!?)」の転載です。

 実物を所有するA氏も「本物かどうかはともかく、これがどういう経緯で作られたものか知りたい」とのことなので、ここで考察してみたいと思う(「なんでも鑑定団」の中島誠之助風に言えば「いい仕事のモンなんですが、惜しむらくは箱に「印」が。。。」ということになるのだろうが(笑))。A氏からの情報によると:

・カナダ在住の芬蘭人がもともと2つ所有していた(1つは芬蘭の博物館に寄贈したらしい)。
・そのカナディアン芬蘭人から、ある日本人コレクターの手に渡った。
・その日本人コレクター氏は近年某ネットオークションに放出、結局A氏がこれを(ガンサイトの値段としては破格の値段で!)落札した。

。。。という経緯をたどったもので、またA氏への売主が公開していた解説によると:

 「German Aircraft Interior」という本には「ドイツ空軍の旋回機銃用サイト」として紹介されているが、これは誤りで、「THm/44Kk(Tahatin Malli/44 Kone kivari=芬語で「サイト・モデル44機関銃」の意)」である。
反射グラスの幅5cm、高さ8cm、全高約13cm。反射グラスの前にフィルターガラスが固定され、右側には金属製の照星と照門からなる予備サイトが付けられている。電源コードのソケットにFl32600という、ドイツ空軍の管理番号がついていることから、ドイツの技術援助を受けたようだ。


、、、とのこと。
 しかしA氏が改めてよく考えてみると、箱にも本体にもどこにも「コレハみるすきノガンサイトデス」と示す、「客観的に確証できる」ようなことが書いていないくて、「THm/44Kk」という形式表示がステンシルされている以外、あとは「No.40」「43」という番号しか記されていないため、「果たしてホンモノかイナか」という疑問が拭い切れないでおられる(そりゃそーだろー)。
 この「No.40」「43」という番号が、果たして何を意味しているのか?
搭載されていたミルスキの登録番号「MY-40」「MY-43」を示していると考えられなくもない(ミルスキIIの生産数が46機であるため。因みに失敗作ミルスキIが4機、改良型ミルスキIIIが10機程度)。

 ここでまず考えなくてはならないのは「果たして芬蘭は照準機器を国内生産できたのか?」という点である。
 第二次大戦中、欧州において自力で照準器材・光学機器を開発・生産できたのは、独・英・仏・ハンガリーぐらいなもので、それらの国から他国が「ライセンス生産」で「ほら、こぉやって作れ」と言われても、極めて技術と精度が要求される器材であるため、そうやすやすと作れるものではないらしい(カメラにも詳しいマキシム高田氏のコメント。博学ですねぇ)。
 「ノックダウン生産(部品供給されて組み立てる)」なら可能かも知れないが、あの時期に自国のハイテク機器を芬蘭に「はいどーぞ」とドイツが言っただろうか?件のガンサイトはREVIと確かに似ている(というかガンサイトの区別が私にはよく付きませんが)。
 また、そもそもこの照準器を別の見方ですれば、誤りと言えど「ドイツ空軍機の旋回機銃用」と解釈できたのなら、「芬蘭空軍機の旋回機銃用(国産照準器)」という解釈も一考ではあるまいかとも思う。
ここでA氏の許可を得て、件の「ミルスキのガンサイト」をお目に掛けたいと思う。


 この物件が出品された時は、私も入札状況をチェック(そもそも誰か落札する人がいるのか?)チェックしていたのだが、よもや落札された方と懇意になるとは思いもよらなかった!
その後
 マキシムの高田裕久氏より、貴重なコメントをいただき、投稿文として掲載させていただけけるとのことなので、以下に引用して掲載する(原稿料がタイ焼き1丁でいいのか?):

HP拝見しました。ちょっと誤解があるようなので、できれば、以下の訂正を掲載して下さい。

 1930年代の光学機器は、現在のハイテク機器同様、当時の先端技術です。当時 、欧州で照準器・光学機器を自力で開発・生産できたのは、独・英・仏・伊・ソ連 ・チェコスロバキア・ハンガリーなどがあります。「東欧でもチェコスロバキアは工業国だから理解できるけど、なぜハンガリー??」と不思議がる方もいるでしょうが、ハンガリーにはカール・ツァイスが資本を出した工場があったおかげで、優秀な照準器・光学機器を生産しています。ハンガリー製対空砲用照準器は、当時の日本陸軍も参考にしたとする光学研究者もおります。

 かさぱのすさんは、ドイツが照準器を簡単に渡すとは思えないと推測されていますが、当時のもう一つの先端技術「画像をフィルムに記録できる画期的な小型機」35mmカメラが高額ながら各国に売買されたように、照準器も売買されていても不思議ではありません。
 はたして、件の照準器のルーツがドイツ製かどうかはわかりませんが、フィンランドは、ドイツから戦闘機を供給されているので、そのルートから照準器を購入もしくは、部品の手配をするのは何の問題もありません。そもそも売った戦闘機に付いている構成物だから「照準器だけは秘密です、売りません!」と言っても意味がないのです。
 件の照準器がフィンランド純国産か否かを判断できる知識は、私は持っておりません。しかし、レンズと光学ガラスを提供してもらえば、残りの部品は当時のフィンランドの工業水準であれば、充分に製作可能です。REVIに似ているという特徴から、照準器のルーツがドイツにあると仮定すると、以下の可能性が考えられます。

1)フィンランド向けのドイツ製特注品
 ただ、刻印や銘板が一切ないという点で、これは少々、疑問があります。

2)ノックダウン生産
 ドイツから部品供給されて、フィンランドで組み立てる。これは可能性があります。「照準器、作りたいから、光学プラントと研磨機器一式を売って」と言われれば断るでしょうが、部品を供給するのは問題ないですし、実際、照準器の保安部品は供給しているでしょう。

3)レンズ類のみドイツから供給。残りはREVIをコピーして作る。
これも可能性が高いです。。

何かの参考になればと思い、書きしるしました。
高田 裕久

 高田さん、ありがとうございました!なるほど。。。「外形」は組み立てられても、問題はとにかく「レンズ」なわけだ。。。国産機、特にミルスキ各型の製造数は前述した通り、たかだか60機程度:わざわざそのために巨額の費用を投じてレンズ工場と職人を設立するとは考えにくい上に、アノ戦時中にそんなことが出来るような国であれば、今では大きなカメラメーカーの1つや2つ出来てそうなもんである(が、今もって「フィンランド製カメラ」の話は聞いたことがない)。
 しかし、WW2終結直前にようやく完成した、もうひとつの芬蘭国産戦闘機「ピョレミルスキ(Pyorremyrsky=旋風、つむじ風)」の心臓:エンジンは、ドイツから購入したダイムラー・ベンツDB-605AC-12である。エンジンはイタリーやスウェーデンにも分けていたドイツのこと、エンジンのみならず戦闘機まるごとを輸出した国に、「メルスの照準機の追加オーダーお願いしま〜す。壊れちゃった」とか言われれば、「しょーがねーなー」などと言いながらも分けてくれたのではないか?という気もする。
 この「芬蘭の国産照準器」については、追って調査を続けていきたいネタです。どなかた情報またはヒントをお持ちの方、お気付きの方がおられましたら、BBSもしくはメールにてお知らせくださいますよう、お願いいたします。

 。。。と結んで以来、約一年数ヶ月、
2002年末に「PHASE II」発生!!


「空軍編」に戻る