戦時中のフィンランドで照準機器を国内生産することは可能だったのか!?
(ミルスキ戦闘機のガンサイト!?)

PHASE II



 「PHASE I」からおよそ一年数ヶ月。。。
 その間には、「フィンランドが(曲がりなりにも同盟国であった)ドイツから、照準機器を輸入していてもなんら不思議はなかろう」とか、「(やはり同盟国だった)日本軍が、ドイツから照準機器を輸入していたことを示す史料を入手した」といった、「謎のミルスキ照準器は実はドイツ製」説を力強く補強してくださるコメントを、複数の方からいただいていたのだが、直接これ!といった決定的資料がなく、当サイトにおいて本件は、管理人によって忘却の彼方へと葬り去られてしまったかと思われていたであろう。。。しかし。。。




 2002年も残すところ数十日となったある日、私はついに懸案の「ミルスキの照準器!?」の実物に、手を触れることが出来た! 所有者のA氏が所用で東京へ来ることになり、その際「ブツを持参する」ということになったのである(!)。前回、本件について非常に具体的で詳しいコメントをいただいた、高田裕久氏のお店:マキシムにてA氏を迎えることにした。既知のA氏とは挨拶もそこそこに、早速に氏がカバンの中からおもむろに取り出した、写真で見たあの灰色の木箱(←「PHASE I」の写真参照)。。。
 高田氏も私も思わず息を飲む。。。箱を開けるA氏。。。現れる照準器。。。ををぉぉー!!

 実物を目にした第一印象はまず、それが「予想以上に小さい」ことであった。実測すると、高さ:130mm/幅:65mm/奥行き:95mm(概寸)。。。というものである。素人考えでは思わず、果たしてこんな小さな照準器で役に立ったのか??という疑問が沸いて出たのだが、列強諸国が軒並み時速600km以上を軽く出せる戦闘機を繰り出していたこの当時、当のミルスキ戦闘機の最高時速がたかだか時速515kmである。巡航速度となるとそれ以下(時速400km内外)だ。そんな戦闘機ならば、このような小さな照準器でも用が足りるのではないかという推測がなされた。だいいち、ミルスキが相手にしていたのは、「(実質空戦の起きなかったラップランド戦争での)ドイツ空軍」と「(もはや不承不承同盟関係の)ソ連空軍」である(ただし対ソ休戦直前の数週間の間に、ソ連機を迎撃した記録はある)。そんな機体に高価なREVIの完成品をドイツの親分から購入するよりも(しかも特注で)、国内で「部分生産」した方がはるかに安いのではないだろうか(←憶測)。

 反射グラスは、確かに50年以上は経過しているらしく汚れて雲ってはいるものの、なんと、覗き込んでよく見てみると、反射グラスに映り込む内蔵された照準グリッドが、室内の照明を受けて見ることが出来た(感動した!)。戦時中にこんなガラスを製造出来たのは、事実上ドイツだけであることは、「PHASE I」で解説された通りの事実である(例えば、現存する日本の零戦の照準器のガラスなどは、覗き込んでも今ではもはや、何も見えなくなっているそうである)。
 また「PHASE I」冒頭で話題に出た、「German Aircraft Interior」という本に示されているような「ドイツ空軍機の旋回機銃用」ではないことも間違いなく明らかになった(上下左右に振りまわして照準出来るような照星と照門の組み合わせではない!)。

 また、半つや黒メッキの施された本体をつぶさに見ていくと、「上部(反射グラスのある側)」と「下部(電源ケーブルのソケットのある側)」とでは、その表面仕上がり具合が違うことに気付いた。
 つまり、(前述の通りの、上質のガラス/レンズも含めた)上部の、(熟達した技を感じる)非常に丁寧で滑らかな梨地仕上げに対して、下部の表面仕上げは、(がんばって真似しようとしたが、こんなんしか出来ませんでした、という感じの)ザラザラなのである(同じ職人の手によるものとは思えない)。ライカなどのカメラ愛好家でもある高田氏の言によれば、「(上部構造物の)仕上がり具合は、(ライカに代表される)ドイツの一流職人の手による品物とおんなじ印象ですねえ。この細かい絶妙の梨地仕上げ。。」とのことである。しかしA氏から当初より聞いていた通り、照準器のどこにも製造者や登録を示す銘盤や刻印が一切ない(収納されている箱にもない)。三者三様に唸りながら、ためすすがめつしつつ、

 ・ガラスやレンズを含む上部構造物はドイツ製
 ・下部構造物はフィンランド国内生産品
 ・なのではないか??
。。。という説が打ち出された。

 電源ケーブル(下部構造物に内蔵される電球のための)の話が出たついでに書くと、そのケーブル本体はゴム製であり、独特の臭いがする。「あ、この臭いは。。。」と高田氏がゴムホースを鼻にくっつけていると、そこへ元マキシム店員の山下氏がたまたま来店。氏も、模型もさることながらカメラの愛好家でもある。店内で珍妙な機械を手にしつつ、あーじゃこーじゃやっている(さぞやヘンなヤツらに見えたであろう)私達が、この照準器の経緯を説明。

 「これ、『ぐったぺるか』の臭いがするよ!いい臭いだー。ちゃんと残ってるもんだねえ」

と言う高田氏に、やおらゴムホースを鼻に突き付けられた(!)山下氏も、

 「。。。うん。間違いなく『ぐったぺるか』ですね、これは」

 と言う。ライカに興味のある方なら周知の単語であろう(このときA氏にも私にも謎の単語だった)、この『グッタペルカ』なるものはなにかyahoo検索してみたところ、マレー地方産のアカテツ科植物の樹液を乾燥したもので、それを樹脂状に固めたゴム素材のことであるらしい。その語感からしていかにもドイツ(語)の工業製品だなぁと思っていたのだが、実は原産地で「guttapercha(がったぱーちゃ)」という名前がすでに付いていたらしい(それを輸入したドイツ人が「商品名」を見て、ドイツ語読みで「ぐったぺるか」(!)と思わず読んだのではないかと思う(!?))。その品質は極めて丈夫で長持ち、耐水性に優れ、ひび割れや伸縮にめっぽう強いのだそうだ。それが古くからライカのボディを覆っている、一種独特の手触りのゴムであるらしい(機種で言うと「ライカM-5」あたりまで。それ以降現行に至る生産モデルでは、ビニル素材になっているらしい)。当時、グッタペルカを日常的に工業製品化していたのは、ドイツなどのまだ一部の大国だけであったらしい。

 蛇足ながら、なんとグッタペルカは、「杜仲茶」でお馴染みの杜仲の木からもゴム状の粘液として採れるのだそうで、事実、市販されている「杜仲茶」には品質表示の中に「グッタペルカ」の文字があるらしい(後日、スーパーで実際に記述を発見!「グッタペルカ配合!」と大書きしているお茶っ葉がある。「いいのか、配合して!?」という印象だ(笑))。故に検索結果の画面には、「ライカ大好きサイト」「杜仲茶大好きサイト」という全く異質のページがまさに入り乱れて出て来る!(笑)
 戦前からライツ社のカメラ(→だから「ライカ」)のボディを覆っていたことをはじめとして、旧日本軍も、中国や南方戦線の杜仲の木から採れるグッタペルカを軍需利用しようとしていたとか、19世紀(1840年代!)すでにドイツのジーメンス工業がグッタペルカ皮覆の海底ケーブルを製造していたとか(!←この事実からも、ドイツではいかに当時から日常化されていたかがわかる)、興味深い逸話がいくつも出て来た。 閑話休題。


 お二人はその本物の『グッタペルカ』の臭いを知っている貴重な証人だ。またA氏に対して、これ以上のゴムの劣化を防ぐために(とは言え、ひび割れることも腐ることもなく、まだしっかりとしている!)、ゴム専用のある種のワックス(自動車のウィンドウやワイパーなどゴム部分メンテ用のスプレーを布に取って拭くとよいらしい)など使用してメンテ/保存しておいた方がよい旨が示唆された。
 それにしても戦時中のドイツ製品、よりにもよって照準器を、臭いで鑑定するという前代未聞の鑑定作業を目の前にして、A氏も私もとてつもなく感動していた(!!)。一つの戦闘機や戦争の歴史、そしてフィンランドという国を、こんな「照準器」というものから考えることができたことも、大いに感慨深いものである。

 こうしたことから、「これがニセモノだとしたら、わざわざこんな上質の光学レンズや梨地仕上げを使った巧妙な仕掛けをするだろうか??」という疑問が沸いて出た。どう考えても不自然である。少なくとも「ミルスキの照準器」であるかどうかはともかく、間違いなく当時の生産品で、しかも「本物の照準器」であるとしか思えない。
 だいたい「ニセモノで一儲けしてやろう、ウッシッシ」というのに、いくらなんでも「さ、ミルスキの照準器だよー!」なんて(めちゃくちゃマイナーでマニアックな!)キャッチコピーを付けるだろうか??実際に、「REVI照準器の(きちんと「レプリカ」と銘打ったものではない)ニセモノ」というものが戦後のチェコあたりのヤミ業者によって製造され、世界中のマニアの間で出回ったことがあるそうだが、それはそれは粗悪な仕上がり具合だったらしい。

 因みに照準器が収納されている木箱の方だが、確かにそれがキッチリ収まるように作られてはいるが、なんとも中途半端な大きさである(あまりにもムダな空間がありすぎるのだ。仕切り板にしても、外から無理矢理ネジ止めしたようなところがある)ことと、フタの裏側に一部、照準器の突起物のクリアランスを無理矢理設けるために削られた部分がある(もともと照準器を収納するには高さが足りていないのだ)。フタに書かれた「THm/44Kk」という文字も、どっかの誰かが油性ペン(?)で書いたように見えなくもない(ただし、同じ文字がそれ以前に書かれていた形跡もある)。そもそもその箱の「作り」自体、板組みに(経年変化・収縮を差し引いても余りあるほど大きな)隙間が空いていたりして、なんとも素人仕事臭いのである(まぁもっとも、そういう素朴なところが「いかにもフィンランドらしい!」と言えなくもない(^^))。

 こうしたことからこの箱だけは、「後で誰かが自分で適当に作ったモノ」ではないか、と考えている(フタの留め金はちょっとユニークな形状なのだが、果たしてこれが50年以上前のフィンランドで普及していたものなのかどうか、また本格的な調査方法としては、箱の素材である木を分析して「フィンランド産の木材か否か」を確認してみたいものだ。しかしながら今のところ、これが50年以上前の本来の「THm/44Kk」の収納ケースであるかどうか、知る術(調査費用も!)を持たないので、現時点でのはっきりとした言明は出来かねる)。

 さて、この様にして我々の疑問は、「照準器がニセモノかホンモノか」というレベルではなく、「(この照準器がホンモノであることを前提に)ミルスキの照準器か、あるいは何の照準器か」ということになっていった。残る確認手段は、フィンランドの航空博物館ないし空軍に、その鑑定を依頼するほかないと思うのだが、なまじホンモノである可能性が高くなったお陰で、それを今のところ躊躇している。
 なぜなら、「A氏→前の持ち主→そのまた前の持ち主(カナダ在住フィンランド人)」までの入手経路はハッキリしているのだが、それから以前となると判然としないのだ(カナディアン芬蘭人が「2つ持っていたうちの1つは寄贈した」という博物館もどこか不明。少なくとも私はヴァンターでもユヴァスキュラでも、公開されている姿を今のところ見たことがない)。
 なまじ博物館に照会して、「あ!それは昔、ウチの博物館から消えてしまったモノだ、返せっ!!」。。。などという展開になったらどーしよう。。。という危惧が私達の間に生まれてしまったからである。。。(^^;)


  。。。しかし事態はここで更なる急展開を見せる(!!)。
→2003年に入り、「PHASE III」発生!!



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