【家長私的記録 夢中暦201212.31】

 2012年が終わる前に、もうひとつだけ書いておきたいことがある。
 フィンランド大好きな友人:せいもく氏と共に、2011年の12月大晦日から今年2012年の正月にかけて、またまた渡芬していたことは前述した(そして、恐ろしい事件が「複数」起きたことも書いた)。
 前回は「ヴァンター国際空港でパスポートを紛失した時にどうすればよいか」について(ダラダラと)書いたので、今回は「パロラ戦車博物館周辺で交通手段が絶たれてしまった時にどうすればよいか」について、今回は写真をメインに(またダラダラと)書いてみる。
(以下写真には、せいもく氏撮影のものが多数含まれる。ライトグレーの防寒服姿で、アホなアクションシーンをワタシに演出されている気の毒な人物が、せいもく氏である)
その日1月6日、時刻は午前11時前。バスはそろそろ博物館に到着だ。
新春なのに路線バスの通常運行は幸いだ(と、この時は思っていた)。
昔は冬季は閉館していたのだが、今は冬でも営業中。
閉館時間は午後3時と早いが、ありがたいことだ。
せいもく氏が夢(悪夢?)にまで見た戦車博物館。
フィンランドAFVに囲まれて、当然ウハウハだ。
相変わらず芬人の「モノと歴史を大事にする」心意気と行動力には感服仕る。
(18tハーフのレストアがここまで進んでるんだぜ!)
例によって、一般的には何をしているのか理解不能な写真を撮りまくり・・・
コレがどうだとか、アレがどこだとか、ソレがそうなってるとか・・・
疲れたら塹壕で一休み。
・・・と、のんびりしていたら「戦車警報」発令!
(てか「閉館時間」と戦うべく飛び起きて)
対戦車アトラクションでもウハウハだ!
(一般的に「アトラクション」とはこういうものを示さないのだと思う )
気分はすっかりICMの戦車兵? ご満悦。
歓喜の舞。
役者とカメラの位置によって「乗ってる」ように見えることに気付いて、
オッサン二人がキャッキャ言っている様子がお分かりいただけるだろうか。
歓喜の舞が続く。
(幼い頃から自分がプラモで作ってきた戦車に触れる瞬間の高揚感!)
模型の細かいディテールにこだわってどーのこーのと言っていても、
実はこの「とんでもない重量!」こそが大事なアウトラインではないだろうか。
歓喜の舞が止まりそうにないが、この日の閉館時間は
午後3時だというし、そろそろ次イッてみよう、次。

 午前11時から午後3時まで戦車と戦車の間を右往左往、写真をアホほど撮りまくり、目の色を変えて土産物も物色。 チケット売り場兼ミュージアムショップ兼喫茶スペースで、熱くて美味いココアを飲みながら次の行動を検討する(一個で糖尿病になりそうな甘い甘いドーナツ(munkki)も美味い!)。 次の行動をどうするか、予定より閉館時間が早かったので現場で改めて検討した結果、近所の戦車旅団基地まで行ってみようかということに。
博物館から少し離れた所に戦車部隊の基地がある
(2008年春頃はこんな風景。以前はゲートキーパーにT-34が2両鎮座)。

 真冬の田舎道をちょっと歩かなくてはいけないが、どうせ戦車好きの人間が二人揃っているのだから、この機会に行ってみよう。 文句をブー垂れるヨメはんも今日はいないことだし・・・と判断したのだ・・・が、この後に訪れる悲劇の引き金を引いたのは、この瞬間だったのかも知れない。
 この後の路線バスの時間を博物館のオバチャンに聞いたところ、1時間に1本の割合程度にはあるらしい。 T-34が2両しかない場所でも、どうせ我々二人なら1時間ぐらいすぐに経過するだろう(!)・・・と、余裕ブッこいた。
閉館時間を過ぎて博物館を追い出され、
気分はすっかり冬戦争。
「暗い」「重い」「寒い」・・・三拍子揃ったような風景だが、
時間はまだ昼午後3時過ぎである(!)。
見えた!
(雪中行軍、数km・・・戦車増えとる!)
フィンランド戦車隊発祥の碑などの記念碑も並ぶ。
(この他、戦時中に当地に駐留した航空隊記念碑等々)
なんと! 2両のT-34に並んで、
いつの間にかIII突(Ps.531-21号車)が、鎮座ましましていた。
戦後に改修された仕様そのまま。
(履板に色々種類があって興味深い!・・・のは一部の人のみ)
だめだ! すっかり日が暮れて暗すぎる!
(・・・くどいようだが、まだ午後3時台である)
と思った矢先にスポットライト点灯!
基地がライトアップしてくれるのだった。
2両のT-34-85は「Ps.231-1号車」と「Ps.231-3号車」。
両車ともウラル(第183)戦車工場製で、継続戦争中に捕獲された車両だ。
戦後の改造にも個体差があって興味は尽きないが・・・
そろそろ引き揚げて戻りましょうか・・・

 この後ハメーンリンナの駅までバスで戻り、ヘルシンキまで帰るのである。 戦車博物館前のバス停まで、来るとき歩いた道をまた戻るのだが、すでにとっぷりと陽は暮れて薄暗い。 バスが午後4時過ぎに1本あるということは、すでに戦車博物館のオバチャンに聞いていたので時間はちょうど良い。 現場で急遽決めた予定だが、万事順調じゃないか。
うしろ姿の・・・しぐれてゆくか

 さて・・・・・・ここから写真のない、長い長い数時間が始まる! ほぼバスの時間にはバス停に着いたのだが、バスは・・・来ない。  そんなこたぁこの辺じゃ珍しいこっちゃないさ!・・・と、しばらくはのんきに構えていたが、やはりバスは来ない。 この極寒の冬空の下、10分経ち・・・30分経ち・・・ついに1時間経った(!)。  博物館のオバチャンに確認しに行ったり、タクシーを呼んでもらうにも時すでに遅し・・・基地へ戦車を見に行ってる間に、閉館時間から1時間以上過ぎている。
 ここで、我々が突っ立ったまま1時間以上を過ごした場所がどんな場所だったのか、暖かい時期に撮影した写真をご覧に入れる。

国防軍管理地域も近く、軍用車両の通行量が多い。
「ふおみお、ぱんっさり!(戦車に注意!)」の道路標識!
夏には野生動物も飛び出してくる、自然豊かな所だ。
シカでした。(:嬉野D)
雪のない季節は単に静かな田園地帯(ただし装甲列車が見える)だが、
冬季は「地獄の北部戦線」と化す(!)。
こういう何もない所でバスを待つのも、厳寒期でなければなんでもない
(とワタシは思うが、ヨメはんにはいつも地獄である)。

 以上の光景に雪を積もらせ、氷点下10度程度の空気を漂わせ、太陽の昇らない風景を想像していただきたい。 そこで我々はバスを1時間待ったが・・・ついに現れず・・・「あと30分だけ待って、バスが来なければ何らかのテを打とう!・・・ヒッチハイクもやむなし!」という結論に達した。 他の国ではどうだか知らないが、フィンランドという国の治安の良さと人の良さを知っているからこそ、この結論が出たのである(実際にヒッチハイクを利用した現地在住の友人の話も聞いたことがあるが、ヒッチハイクは単なる「人助けの行為のひとつ」というして認識されているようだった)。
 そして・・・とうとう1時間30分も待ったが・・・バスは・・・1台も通らなかった!(午前中は間違いなくバスがあったわけだし、ハメーンリンナ駅の路線バス時刻表にも、なんら運行時間変更のお知らせは出ていなかったのに・・・。)

 後でよく考えたら、実はこの日1月6日というのは、「Loppiainen (公現祭=ジーザスお誕生日お祝い強化週間の最終日らしい)」というフィンランドの祝日・・・旅行前に博物館にこの日開いているのか問い合わせしておいたことを思い出した。 メールで「開いてますよ、ようこそお越し」なんて言われて安心し、駅からバスも予定通り出たので、すーっかり安心していたのに・・・どうやらこの日は「午後は運休」だったようだ(だったら駅の時刻表にでも貼り出しとけ!!)。

 ヒッチハイクするのも結構だが、そもそもクルマが通りがからなければ捕まえることも出来ない! こんな時に限って交通量は少なく、時間が遅くなるにつれて更に少なくなっており、やって来ても反対車線だったりする。
普段の交通量はワリとある方で、
軍用車両の他にも、旧車マニア垂涎の民間車も多い。
とはいえミリタリー・ポリスのVWにヒッチハイクするのは恐れ多い
・・・というかそのままどこへ連行されるか妄想するとおっかない。
 ・・・次に来たクルマに手を挙げて捕まえよう!と決心したその時、こんな時に限って、ようやく通りがかった車が初代フェアレディZ(!)だったりしてエライ驚いたが(ツーシーターやん!運転手以外にワシら二人乗られへんやん!)、このまま寒さに耐えるのも限界に近い・・・。

 ヒッチハイク以外の手段として、「近くの民家に助けを求める(誰か人が住んでれば、な!)」という選択肢も検討していたので、ついにバス停を離れて移動する決断をした(そんな時に限ってバスが来ませんように・・・)。

 灯りの消えた戦車博物館を横目に、灯りの灯る民家を目指して歩く・・・我々二人とも、口には出さないが脳裏をかすめる光景は・・・スターリングラード、地獄の撤退戦・・・。

 ほどなくしてクリスマスのイルミネーションが窓に光る、この極寒の中で一際目にも彩な一軒の民家を発見できた。
 外から様子をうかがう限り、「荒くれ野郎どもの巣窟」とか「怪しい老婆が包丁を研いでいる」とか「顔を覆面で覆った大男が徘徊」といった雰囲気はまるでない。 それどころか、いかにもフィンランドの田舎らしいこじんまりとした、それでいて瀟洒な一軒家だった。
 意を決してワタシはチャイムを鳴らした。 そしてドアが開いて、顔を出したのは初老の紳士・・・。

 ワタシはフィンランド語と英語のちゃんぽんで、「ワタシはヤパニライネンです、旅行者です。路線バスが来ないので、駅までのタクシーを呼んでもらえませんか?・・・たすけてくださぁ〜い」・・・と、すっかり凍えた体を震わせつつ伝えると、最初ちょっと怪訝そうな顔をしていたのだが、すぐに快く「ああ、いいよ」と返してくれ、そのまま戸口で携帯電話のアドレスをめくりだした。
 彼は「いつもはヘルシンキ市内に住んでいるので、この辺りのタクシー会社の電話番号を知らないんだ」と言いながら、ケータイに登録されていたヘルシンキのタクシー会社に、この辺りのタクシーの電話番号を聞いてくれた。 そしてその番号へ掛けてくれたのだった・・・なんて親切な人なんだ!

 そんなやりとりの後、彼が「寒いか?」と聞くので「そりゃ寒いよ!(基地から、寒風吹きすさぶ雪道を歩いてきた上)1時間半以上もバスを待ってたんだから!」なんてことを言うと、家の中へ入って暖炉に当たれば良いという。 ワタシとせいもく氏は震える体で玄関をくぐるや否や、その暖かさに心底ホッとした。 部屋には暖かい暖炉、そしてクリスマスツリーが美しく輝いていた。

 赤々と燃える暖炉の火に手を当てながら、ワタシとせいもく氏はとりあえず自己紹介した。 紳士の名前はヨルマさんといい、ヘルシンキの会社を定年退職した後、週末は一人でこのホリデーハウスで過ごしているのだと言う。
(定年後の人生の過ごし方として、こんな素晴らしい悠々自適な生活があるだろうか! なぜ我々日本の庶民・サラリーマンには、こういう余生の過ごし方の出来る人が、いつまで経っても少ないんだろう! 皆こんなに毎日あくせく真面目に働いているのに、その結果、退職後に残るのは何だ?・・・思わずそんなことを考えてしまった)

 「家族で作ったクリスマスのクッキー(piparkakku)があるよ」と言いながら出してくれる。 素朴なジンジャー・クッキーだ・・・美味い。 涙が出そうになりつつ、彼が「戦車博物館に来たんだって?博物館は幼い頃からのお隣さんで、うちのオヤジも戦車部隊に居たんだ。オヤジはもう死んじまったが、退役した時に軍から貰ったトロフィーがあるよ!見せてやろうか」と言う。 ほどなくして彼が持って来たのが、これ↓
・・・!
 せいもく氏もワタシも「あ!・・・ヴぃっけるす!」と言いながら指を指すと、ヨルマさんは「そう、ヴィッケルス。木製の模型。主砲は途中で折れちゃってるけど、機銃は残ってるよ。」などと説明してくれる。 フィンランド語は未だにほんのカタコトしか出来ないクセに、「tykki」とか「konekivääri」なんて単語だけはしっかり理解できる自分が、我ながらオカシイ。

 ヨルマさんは我々を、日本からせっかく戦車博物館に来たのに、バスも来なくて観られなかったんじゃないかと思ったらしく、「とりあえずココでやっとpanssarivaunuを観ることが出来たな!」と言って笑う。

 ほどなくしてタクシーがやって来た。

 我々は深々とお礼を述べ、握手をしてヨルマさんの別荘を後にした。 玄関まで見送ってくれたヨルマさんはその後、タクシーから手を振る我々に別荘の窓から手を振り返してくれた。 ありがとう、ヨルマさん! さようなら、ヨルマさん! Live long and prosper!
Kiitoksia,Mr.Jorma!! :-)

 交通手段を絶たれた極寒の地獄の中で、しかも戦車に囲まれながら(!)路頭に迷った結果なのだが、ワタシはなにかを得たような気になっていた。 それが何なのか未だによくわからないし、うまく説明も出来ないが、それは人間の生き方についての何かだと思う。

 ヨルマさんと、フィンランドの善良な人々の生き方に心からの御礼と畏敬の念を述べたく、ここに特記しておく。
(そしてまた、エライ旅行社のせいで、エライ目に遭わせたせいもく氏にも陳謝!)

 そして無事にこの後、我々はハメーンリンナから電車に乗り、ヘルシンキまで帰ることが出来たのである(もっともこの3日前には、交通手段どころかパスポートを紛失するという、さらなる地獄に突き落とされた結果、これまた親切なサマリアン達(と、亀井絵里りん!)に助けられていたのだが・・・!)。
 ワタシにとってはこの他に、日本ではロクなことがなかった2011年から2012年にかけて。 人類滅亡することもなく(!)今年も終わる。 どうかなんとか来年こそは、皆様と共によいお年を。  (か)


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