ルノーFTモデル1917

世界で初めて360度回転式砲塔を採用した、その後の「いわゆる戦車のカタチ」の原型となったことで有名なフランスの傑作戦車。世界中に輸出されたベストセラーとなりましたが、フィンランドも輸入国のひとつです。
1919年にフランスより、32輌(製造番号66151〜73400までのいずれか)と長距離移動用の専用トレーラーを受領しました。受領した戦車には、八角形のリベット止め砲塔(ジロー/ルノー)と丸型鋳造砲塔(ベルリエ)両タイプが入り混じっていましたが、現在パロラの戦車博物館に現存しているのは後者ジロー砲塔のタイプです。また、32輌のうち14輌はプトー37mm砲を、残り18輌は8mmオチキス機関銃を(ただし1937年夏には7.62mmマキシム機関銃に換装)搭載していました。
受領した同年7月15日には戦車をもって「攻撃車連隊」(戦車師団の前身)を編成。1921年に更に2輌(製造番号66614および67220)がフランスより送られとのことです(※)。
1930年代にはすでに旧式化していましたが、ほどなくして始まった冬戦争にも投入されました(ただし多くの場合、車体を地中に埋めたトーチカとして使用)。なお1941年7月1日時点でも、4輌が現役として登録されていました。
因みにフィンランドでは、このルノーRenaultの戦車を「Runo(るの)」ないし「Renu(れぬ)」という愛称で呼ばれていたとのことです。

:フィンランドは1919年10月、フランスへの支払いも途中のこの最新兵器を2輌(製造番号68348および67072)、Yudenichユデニチ将軍率いるエストニア白衛軍に(フランスの強い圧力で不承不承)貸与しました。当時エストニアでも独立に際し、共産主義勢力:赤衛軍と自由主義勢力:白衛軍とによる内戦が起きていたのです。
しかし翌年、破壊された「ひどい状態で」これらが返って来たため(!)、その代車としてフランスは、新たに新車2輌をフィンランドに送りました。




車体下部両サイドに取り付けられた、製造メーカー「Loius Renault(ルイ・ルノー)」の銘板。




木製(!)誘導輪。ルノーFTの中でも初期の生産型には、この木製誘導輪が使用されていました。
芬軍の装備した32輌の中には、その後に生産された金属製起動輪のものも混在していたようです。
さぁ、RPMのキットを作ろう(笑)




館内に展示中の車両(丸型鋳造砲塔・プトー37mm砲装備型)。
「戦車のスシ詰め」状態です(笑)
なお、展示に際して塗装された色は史実に忠実とは言えませんが(仏軍と同じ淡い3色迷彩:サンドブラウン/ミッドブラウン/グリーンが施されていたようです。ただし一部は、後々のメンテの際にグリーン1色に再塗装されたものがあるようです)、車体後部に描かれた「四角に赤いダイヤマーク」は、当時フィンランド軍が採用していたフランス軍と同じ方式で、
「戦車第2大隊第2中隊第1小隊」を示しています。



砲塔内部。
プトー37mm戦車砲砲尾(ヴィッケルスに当初搭載されていたのと同じ戦車砲)が見えるのはいいとして。。。
赤い。とにかく赤い。
果たしてこれが史実通りの再現なのかどうかは、疑問に残ります。本車の乗員は2名。こんな赤い閉所に閉じ込められ、戦車の指揮と砲弾の装填・射撃を一手に引き受けなければいけなかった車長の心理はどうなってしまうのか、想像を絶します(!)。




取り外して置かれている、超壕用の尾ソリ。




車体後部。装甲表面は滑らかな梨地。
大隊/中隊/小隊を表すマーキングは仏軍と同じく、
中隊:「○=1/□=2/△=3」、小隊:「スペード=1/ハート=2/ダイヤ=3/クラブ=4」、大隊:「(シンボルマークの色)青=1/赤=2」を表すそうです。
仏軍パターンの迷彩塗装も含めて、これらのマーキングもフランスから送られた時点で施されていたか確証がありません。少なくとも部隊マークは、数が揃った時点でフィンランドにて施されたのではないかと考えています。




長距離移動用の専用トレーラー。
現在は戦車と個別に展示されていますが、なんの説明もないので、これがそうとは知らない見物客も多いのではないだろうか(1980年代、MG誌vol.27などで紹介された際には、FTが載せられた状態で展示されていました)。




台車側面に取り付けられた、トレーラーの製造者ロゴマーク。
戦車のメーカーとは違い、リヨンの「Jures Weitz」社製と読めます。



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