「ぴえのいすおじさん」夫妻のこと
Pienosimalli : Ola ja Seija



※お断り:
本サイトでは基本的に、フィンランド人の弁を関西弁で訳しています(読みづらい向きもありますが)。
これは「ほぼ99%の単語の第一音節にアクセントがある」という芬蘭語の特徴(関西弁はその点で似ている)を意識して訳したものであり(実際のメール/会話は英語ですが)、芬蘭で関西弁が通じるわけではありません(しかし彼らの会話を聞いていると「今のは関西弁か!?」と思う時があるのも事実)。




・序章:

フィンランドには(唯一の?)総合模型雑誌「PIENOISMALLI」(ぴえのいす・まり。PIENOIS=ミニチュア/模型、MALLI=雑誌、「ミニチュア・マガジン」とでも訳そうか)がある。
通称「ぴえのいす・おじさん夫妻」(勝手にそう呼んでいるだけ)とは、その編集長:オラ・ペデルセンOla Pedersen氏とその奥さんのことである。夫妻と我々のお付き合いのことを話す前に、まず「PIENOISMALLI」という雑誌について解説しておきたいと思う。
「PIENOISMALLI」は、1年に8回発行される雑誌で(月刊でもなければ隔月刊でもない。気まぐれながら、決まって年8回なのだ)、その内容はスケールモデル・鉄道模型・ラジコンという、いわば3種の神器を網羅しており、スケールモデルはAFV/飛行機/カーモデル/艦船(木製帆船も)、鉄道は車輌からジオラマまで(このサイトでは「ダイオラマ」の発音を推奨したい)、ラジコンも車/飛行機/艦船(走らせたり飛ばしたり浮かべたり、とにかく悠々と遊べる場所には困らないから!)まで、非常に幅広く扱っている(そりゃ唯一の模型雑誌となりゃぁ)。ライター陣のなかには、日本でも(その筋では)おなじみのP.マンニネンManninen氏(芬空研究家)やJ.プルホネンPurhonen氏(芬蘭AFVモデラー)らの名前もある。
日本の模型雑誌と比較してしまうと、実際「ツライ」感も否めない。何より、全文芬蘭語のみというところが最もツライ。A4変形版(MG誌とほぼ同じ大きさ)で、毎号58ページ前後。現在の定価が33マルッカ(2001.11現在で約600円。20年前のHJ誌と同じ)となると、やはり高いという印象を受ける(総じて芬蘭は本が高い国である)。
しかし芬蘭国内の主な書店(首都ヘルシンキでも、ラップランドの田舎町でも)では、見かけないことがないほどに流通しているのは見事である。

しかしこの雑誌が、芬軍マニアにとって重要な点は、「しょっちゅう芬軍の作例や写真が載る」というところにある!
号によってはラジコン飛行機や船ばっかりという(所謂「ハズレ」に相当)のもあるが、他の書籍では見たこともない(少なくとも本邦未発表)写真が載ることも少なくない。
ちなみに2001年8月号の特集は(なんとなぜか今!)「フィーゼラー・シュトルヒ」(!)であり、芬空軍の使用したST-113号機の1/32作例と写真・図版が多数掲載されている(同時に小特集されているのが、なぜかタミヤのSd.Kfz.222.(!)。しかもストレート組み1作例で6ページに渡っている!今時こんなことを日本のメジャー誌(いくらAFV専門のAM誌でさえ)がやったらエライことになる!
また驚くべきはそのスタッフで、ご主人(編集長)奥さん(通販業務)ご主人の弟(誌面レイアウト)、この3人でやっているのである!!(国内唯一の模型雑誌社というと、騒々しい事務所・積上げられた書類や原稿、模型・徹夜でヘタっているスタッフなどを想像していたので、事実を知ってひっくり返った)

。。。というような雑誌なのである。また「PIENOISMALLI」は、海外模型関連書籍()の芬蘭国内販売代理店や、Hobby-Kustannus oyの名前で出版業務も兼業している。小さい規模ながらも、フィンランド(と極一部の外国人)のモデラーにとって非常に大きな有意義な存在である。

「PIENOISMALLI」公式HP:http://www.pienoismalli.com



・発動編(←お約束)

かさぱのすは1995年の初渡芬の際に、ヘルシンキのストックマンデパートStockmannの書籍コーナーにて初めて手にした。「この国にも模型雑誌なんてあるんだなぁ」と感激した。
二度目の渡芬では、ヘルシンキの模型店にてバックナンバーも併せて購入し、その後ついに定期購読に踏み切った(それ以来3年になろうとしている)。
海外取引で、最初に我々の口座を設けてもらう(支払い元のカード番号を知らせたりするのは、保安の都合からFAXにしたり)のは、少々面倒くさいややこしい点もあったが、編集長:ペデルセン氏とEメールでやり取りを開始するや否や「日本にウチの雑誌を知ってる人がいるとは知らなんだ!その上定期購読なんて、日本で、いや極東で唯一やで、あんた!!」との返事が来た。何にせよ「日本で初めて」とは、気持ちがいい。ましてや「アジアでも初めて」と来たもんだ。
そんなわけで、私にとっては「貴重な資料の供給源」、氏にとっては「定期購読のほかにバックナンバーや、その他の芬蘭書籍を注文するけったいな日本人」、ということで(電信上での)親交が深まっていったのである。



・第一種接近遭遇:

2001年9月、ついに夏の芬蘭に行く予定が立った。そのことを編集長:ペデルセン氏にメールで知らせると「ウチに来いや!」という。
「ウチでサウナとバーベキュー大会や!」と続く。こりゃエライことになるぞ、と思いつつやがて渡芬。着いたその日の夕方に、我々の宿泊先:ホテル・ヴァークナVaakuna前にて待ち合わせ。私の目印は、おみやげ入りの「タミヤの紙袋」(そんなモン持ってヘルシンキ市内で突っ立てる東洋人が、他にいるとは思えない!)である。やがて車で現れたその御仁は、「白髪のよく肥えたおっちゃんであるところのムーミンパパ!」である。挨拶もそこそこに早速乗車してご自宅へ。途中ヘルシンキ中心部をグルリと見物しながら、約40分。自宅も事務所もヘルシンキ市内だと聞いていたのだが、フリーウェイを延々と走った。
聞くと「ヘルシンキはヘルシンキでも、一番端っこ!」である(実際目的の住宅地に入る直前の道路で「ここがヘルシンキの境界線」という標識を指差された)。
着いたところは、庭付き住宅ばかり建ち並ぶ(!)、まったく文字通りの「郊外の閑静な住宅地」で、その中の「棟続きの大きな建物(彼は「アパート」と言ったが、あの様式は日本にはない)」の1区画(やはり個人の庭付き)が、 ご自宅であった。奥さんのセイヤSeijaさん(芬蘭女性にはムーミンママが多い。。。失礼か!?)も出迎えてくださった。
中に入って上着を取りつつ、おみやげ渡し。「今年の夏は暑い」と聞いていたので、和紙の扇子(Japanese traditional fan?)をそれぞれに。その他、最新のMG誌(文字を上から下へ読むタイプ)とMA誌(左から右へ読むタイプ、、、いずれにせよ日本語が読めるハズもないが)、ちぱがゲーセンで取ってきた「寿司のチョロQ(!イマイの「寿司のプラモデル」でも良かった)」、「ゴジラのガシャポンHG」、「戦車の携帯ストラップ(世界一携帯電話普及率の彼らは、マスコットはおろかストラップさえ付けていないのだった!)」など(なんと「Sushi」も「Godzilla」も知らなかった!この国では日本の事物をまだ知らない人が珍しくないようです)。
おみやげの中で、最も彼が興味を示したのが、(芬蘭に輸入されていないような、それでいてかさ張らない、何か面白い日本製キットはないかと思って持っていった)SWEET社の1/144ハリケーンMk.T初期型であった。
「なんでグレーのと透明のが2つ入ってるんだ?」とペデルセン氏。「いやこうするとキャノピーだけの透明ランナー枠を作らなくて済むでしょ。あぁ論理的。(フィン空含む)デカールもキレイでしょ?」みたいな説明をしておいた(SWEETさんから何ももらってませんが!)。



・おじさんと奥さんの新婚旅行:

「次の日はパロラの戦車博物館に行く」という話をしていたところ、「ああ。あそこはええ所や」とおじさん。戦車が好きならそりゃそうだろうと聞いていると、次の言葉に耳を疑った。
ワシら新婚旅行で行った」。。。え!!??と聞き返す我々に、奥さんが家族の記念アルバムを見せてくれた。若かりし頃の奥さんが、確かに半ば色褪せたカラー写真の中で、T-28多砲塔戦車の前で微笑んでいる! 奥さんの顔は「もうウチの人こんなん好きやからカナンわ」という顔をしながらも笑っている。
ちぱもセイヤさんも、お互い英語が決して達者ではないのだが、それでも不思議と「そうそう、ウチのだんなもね、、」「模型の箱ばっかり積んであって、、」「ウチもいつまで経っても作らないのが、、」云々かんぬんと、不思議と意気投合している。
そんな姿を尻目に、おじさんのアトリエ(模型製作専用の!!)で、「そんなこと言うたかて好きなモンはしょうがない、、」「そうそう、在庫はしとかんと、、」「ほら古いタミヤのダイムラー・ディンゴ、、」「そうそう、これ古いけどいいキットだよね!」などとやっている旦那達。。。
どこの国も一緒だな、人種差別とか国際紛争とか信じられない!などと変なところで感じてしまった私であった。。。


つづく

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