T-34/85(Ps.245-4)

戦車博物館館内に展示中の車両(可動状態なそうな)。
継続戦争終結直前の1944年6〜7月に捕獲したT-34-85のうちの1つ。
ウラル戦車工場(UTZ)製。1944年に生産されたものの中で初期型とも呼ぶべきタイプ。
質実剛健、極めてコンパクトにデザインされた戦車ですが、実際に目前にしてみると、その意外な背の高さに圧倒されます。




全景。後でルノーFTの尻の写真を撮ってるヘンなにいちゃんは無視しよう。




主砲砲盾周辺。
1944年9月(対ソ戦が終了する月)、弾薬補給の都合から、主砲をIII号突撃砲の75mmStuK40に換装する計画(!)が浮上し、1945年2月に本車がそのテストに用いられたそうですが(そのと時にはすでにソ連が一応「盟邦」となっているにも拘わらず!)、すぐにオリジナルの85mm砲に戻されたそうです。
見なれない砲身基部のボルトで留められたリングは、そのテストの後で付けられたもの(外すとどんな穴が開いてるんだろう?)。




砲塔左側面ピストルポートと視察スリット。
ピストルポート周辺は、「後ハメ」されたかのように、四角く溶接跡がうっすら浮き出ています(この部分を含めて一体鋳造かと思っていたが違うようだ)。
また鋳造表面の様子はこんな感じです。ピストルポートの栓のバリ取りや、スリット周囲の溶接跡の汚いこと!



車体機銃マウント。




機銃マウントの下にある牽引フック掛け。ベチャッと溶接してあります。模型で再現するときは、接着剤をはみ出させるのがコツです(笑)
なおこのフック形状については、「アーマー・モデリング」誌2002年9月号(vol.35)にてつぁぎ“腹丁”青木氏が、(この写真とともに)詳しく言及されています。




操縦手ハッチと、全開にすると(恐ろしいことに)筒抜けで見える機関室隔壁。




同じく少し上から覗き見た操縦手シート。紅い!




機関室ルーバー付近左側。仕切り板が薄いのでグニャグニャです。
手前に見えるのは、戦後のフィンランド軍の装備である雑具箱。




その雑具箱。ワリと凝った造りになってる。




左舷側。




左前部フェンダーに取り付けられた既倒式前照灯(倒した状態)。
もちろんフィンランド軍の改造した装備です。




その前照灯を起こした状態。




車体後部には大型の(でも簡素な)牽引金具が取り付けられていますが、これも戦後のフィンランド軍独自の装備です。




砲塔上部を右舷側から仰ぎ見る。
アンテナ基部に注意(アンテナそのものはオリジナルではないとしても、「生きている本物」ではないかと思う)。




2010年5月に訪れた際には、Ps.245-4号車は「新館」に移されていた。
お蔭で今まで見えなかった部分が見えた。例えば車体後面。
ちょっとした発見。通常T-34の車体側面装甲板というのは、左右各々、後面パネルと同じ角度で切り落とされた面取り構成になっている。
ところが本車Ps.245-4号車の側面装甲板では、「左右ともに右(!?)」のように見えます(単に左側の面取りを忘れたのか??)。

この「間違い」は本車に限ったことではなく、特に現存車両としては他にも、(モスクワのポクロンナヤ)戦勝記念公園のT-34-76(1941年戦時簡易型。ガソリン・エンジン搭載車としても貴重!以下、「実車写真集」の特別編をご参照)に、同じ間違い(?)が見られます。

(かつてワタシがモスクワ郊外のT-34博物館を訪ねた際、ロシア人館長が居並ぶT-34戦車を前にこう語った。 「『間違えてる』とか『仕上げが荒っぽい』とか『溶接がヘタクソ』とか、言うな! 大祖国戦争では、男手を戦争に取られて、工場では子供達が戦車を作ってたんだから。」・・・と。 涙なくして語れない悲話であり、ロシアはドイツの侵略を受けた被害者だと訴えていたのだが・・・正直なところ「フィンランドやバルト三国、ポーランド、戦後の東欧諸国で、ソ連が何をしたのかも忘れないで欲しいものだ」とワタシは思った。閑話休題)




右舷側のアップ。誠に荒荒しい仕上げながら、こちら側の面取りが「正解」。
ところで後面パネルにバールやら籠(大きな消火器が入る)が装着されているのも、戦後のフィン軍仕様。




ふと足元に目をやると、履板に製造番号だか管理番号だかのモールドが、やけに目に付く。



「実車写真集」に戻る