T-34/76 1941年戦時簡易型

実車写真集特別編!
モスクワ、ポクロンナヤの丘にある「戦勝記念公園」内に展示されている車両。2007年10月撮影。




タミヤのキット「T-34/76 1942年型」として慣れ親しんだタイプ。
写真の車両、1941年のクラスナーエ・ソルモボ(第112工場)製。
(ああ!話がこんがらかる!月刊「グランド・パワー」1997年9月号を大いに参照)




砲塔左舷側アップ。
手すりの取り付けられ方、別パーツとして溶接された側面、ピストルポート、天板から突き出ているペリスコープ、砲盾の照準孔のための切り欠きなど、見所は多い。




後姿を見てはじめて、この車両が貴重な(当時600数十台しか生産されなかった)ガソリン・エンジン搭載車であることがわかった。
機関室後面パネル中央にある円形の点検用ハッチの位置が、車体中心線上にあるのである(って、言われんとわからんわ)。
またそのハッチを留めるボルトの数(通常は等間隔に6個)が、4個であることにも注意(展示の際作り直されたものではものではない)。




モスクワ・ツアーで同行のイラストレータM氏が、おかしな所に気がつく。
「あ、この側面装甲・・・面取り間違ってる!?」
確かにおかしい。本来は後面パネルと同じ角度で切り落とされているはずの側面装甲板の端が、
「左右ともに左(!?)」のように見えます(単に右側の面取りを忘れたのか??)。

この「間違い」は本車に限ったことではなく、特に現存車両としては他にも、パロラの戦車博物館のT-34-85(Ps.245-4号車)も同じ面取り(ただしそちらは、「左右ともに右(!)」)になっていることが判明しました。

(ワタシがこの戦勝記念公園を訪れた翌日:モスクワ郊外のT-34博物館を訪ねた際、ロシア人館長が居並ぶT-34戦車を前にこう語った。 「『間違えてる』とか『仕上げが荒っぽい』とか『溶接がヘタクソ』とか、言うな! 大祖国戦争では、男手を戦争に取られて、工場では子供達が戦車を作ってたんだから。」・・・と。 涙なくして語れない悲話であり、ロシアはドイツの侵略を受けた被害者だと訴えていたのだが・・・正直なところ「フィンランドやバルト三国、ポーランド、戦後の東欧諸国で、ソ連が何をしたのかも忘れないで欲しいものだ」とワタシは思った。閑話休題)




おまけ。
車体前部とフェンダーの繋がりがどうなってるんだか、下から覗いてみた。




おまけその2。
起動輪。




ところでオーロラを撮影するには三脚が必要なのだが、戦車や飛行機を撮影する時には「一脚」だ!
オートフォーカスでセルフタイマーを使う秘儀(?)なのだが、ツアーのリーダー:MAXIM高田氏(現GUMKA高田氏)の妙技が、モスクワの空を貫かんばかりに冴える!
(知識と秘儀を公開してくれた高田さん、kiitos(^^))


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