水力発電所やフィンレイソンの旧製紙工場などを横目に、美しい運河沿いを歩く。(2015年秋の撮影) | |
正面。 レンガ造りと石造りの美しい界隈。(2015年秋の撮影) | |
実はかつて2004年にもこの門前までは来たことがあった(市内をブラブラ彷徨って、ココまで入り込んだだけなのだが)! 壁の懸垂幕に大きく「侍samurai」と書いてあって驚いたので、何も知らないままに撮影していた(写真の囲みに部分拡大)。 当時の我々はこんな規模の大きな博物館だとは知らず・・・入っておけば良かった!(2004年の撮影) | |
鉄っちゃんではないのでよく知らないが、タンペッラ社が製造したフィンランド国産の蒸気機関車が1両、表に展示されている。(2015年秋の撮影) | |
博物館の写真ではないが、鉄道ついでにタンペッラのディーゼル機関車。 繊維工業から鉄鋼業やこんな機関車の製造までやってる大手メーカーですよ、ということで。(2004年の撮影) | |
かつてペタヤヴェシに向かう(2015年の今や廃線の危機にあるという!)ローカル線に乗った時に撮っておいた。(2004年の撮影) |
さてヴァプリィッキ博物館内。 広大な館内は、もともとタンペッラの織物工場だった建物だそうだ。(2015年秋の撮影) | |
館内には、15t天井クレーン(ドイツのベルリン製)がそのまま残っていたりする。(2015年秋の撮影) |
ロシア帝国の統治から独立した翌年、1918年に始まった内戦についての展示エリア。 「(フィンランドは)ロシア革命の混乱に乗じて独立を果たした」と解説されることが多いが、言い方を変えれば「革命の混乱に乗じた」が故に、同時にそれ以降ボリシェヴィキ/ソ連の拡大と対峙しなければならなくなったとも言える。(2015年秋の撮影) |
内戦の「顔出し看板」て・・・(本来はタブー視したいはずの自国の黒歴史の展示で・・・日本でこのやり方は許されないんだろぅなぁ(~~;))。 |
タンペッラはフィンランドの大手軍需産業のメーカーでもあった(現在その兵器部門はパトリア社に吸収)。 例えば戦前の1933年から迫撃砲を国産化しており、戦後はイスラエルとの合弁で「ソルタム社(「sol-」はイスラエル側の企業の頭文字、「-tam」はTampellaのタム!)」の創立に至るのであった(別会社を外国に・・・それもイスラエルみたいな国に置けば、中立国の立場でも兵器輸出で儲かるもんねー・・・って、そちも悪よのぉ・・・いえいえお代官こそ・・・むにゃむにゃ)。 写真もソルタムの120mm迫撃砲Krh62A-H(戦時中のタンペッラ製Krh40の改良型)。(2015年秋の撮影) | |
タンペレにあって、戦時中は大活躍(北欧空戦史ファンならお馴染み)のVL(国営航空機工廠)とその設計部門を紹介するエリアに、フォッケルD-XXIの国産プロペラが展示されている。(2015年秋の撮影) | |
航空機工廠(VL)で製造され(!)タンペレ市内を走っていた、フィンランド初のトロリーバス。 燃料が貴重だった戦時中から、1974年に至るまで(改良を加えられながら)走っていたらしい。(2015年秋の撮影) |
電気設備や重工業の展示エリアの一角に、シミュレータ・・・うわっ、フォワーダのシミュレーターやーーー!!・・・と言われてもピンと来ない人も多いかも知れないが、「フォワーダ」というのは木を伐採すると同時に回収する車両のことである。 古来、林業はフィンランドの重要な産業のひとつである。 お子達もウハウハだ!(ummm・・・どーでもいーけど早くその席をオッチャンに代わっておくれ・・・)。(2015年秋の撮影) | |
これがそのフォワーダの一例。 6本脚型の試作車両(車両?)。 森林をノッシノッシと歩いて来るタイプだ。(2015年秋の撮影) | |
こちらは郵便博物館エリアの「戦時の軍事郵便」の紹介の一例。 こういう腕章を巻いた兵士が郵便配達していたらしい。(2015年秋の撮影) | |
おもちゃ博物館の入り口に・・・あっ!・・・置いたらアカンぽい、どこかが怒ってきそうな人形が無邪気に置いてある・・・!(~o~)(2015年秋の撮影) |