RUK博物館(ハミナ市内)
RUK-museo , Hamina



 フィンランド国防軍の予備役士官学校(Reserviupseeriskoulu:略してRUK)の教育施設としての博物館です。 ヘルシンキKamppi地下のバスターミナルから直行バスで約2時間半(またはKarhulaまで行ってHamina行きバスに乗り換え)、18世紀以来の古くて美しい町並みを残したハミナ市街のバス停から、徒歩20分弱というところでしょうか。 所在地で言うと「Kadettikoulunkatu 8」。 通りの名(士官候補生学校通り)が表すとおり、博物館に至るまでの道中には、いかにもクラシカルな兵舎や将校クラブといった建物が立ち並んでいます。 博物館自体は1975年に設立されましたが、1996年からは現在の建物で運営されています。
 もともとフィンランド西部のニーニサロNiinisaloにあった予備役士官学校が、冬戦争勃発に伴い(犠牲となり失われる一方の将校を教育して、すぐにも戦場に補充する必要に駆られて)当地に移転して、戦時中は正規の士官学校となったとのことです(ここハミナはフィンランド南東部で、旧市庁舎を中心に放射状に広がる独特の形状をした「小さな城塞都市」ですが、ここまで来ると、すでにヘルシンキよりもソ連=ロシアとの国境の方が近くなる!)。

 博物館の前には、見事に1944年の状態に復元されたIII号突撃砲G型:Ps.531-8号車が展示されているのが、一番のランドマーク!! 博物館自体の入り口には7.5cm対戦車砲PaK40が置いてあるのも、目印になってわかりやすいでしょう(?)。
 根本的に、隣接するRUKの教育と資料保存のための施設であり、運営母体もRUKの学生組織とその支援団体なので、派手な演出はもちろん一般人にわかりやすいレイアウトなどではありませんが、フィンランド陸軍の歴史とその各種装備が、この博物館で軽く網羅することが出来ます。
(このあたり、存在意義や由来こそ違えど、朝霞の「りっくんランド」はよくがんばっていると思い直せる!誰だ、仕分けしようしたのは!・・・閑話休題)

 なお当然のことながら、ここにはミュージアムショップなんて洒落たものはありませんが、入口の受付カウンター脇で、RUKのピンズや書籍(基本的に「読み物」が多いのがツラいところ)を買うことができます(アイテムの種類は少ないものの、少しでも運営資金の足しになれば良いと思う)。
 入館料大人1人4ユーロ(2018年現在。安っ)。

開館時間(2015年の場合):
 6月1日〜8月31日:火曜日〜日曜日→10:00〜16:00
 (その他の時間は応相談。あくまでも士官学校の教育施設なので、一般公開に熱心になる必要は無い・・・かなぁ)

RUK博物館HP(ハミナの隣町コトカのHP内の案内)
http://www.kotka.fi/asukkaalle/kulttuuripalvelut/kymenlaakson_museo/kymenlaakson_paikallismuseot/hamina/ruk-museo
 (残念ながら今のところ、最も詳しい当博物館の案内は、現地で配布されているリーフレット・・・というのが現状!)


主な収蔵展示物(実車写真集へ)《編集中》


 博物館に辿り着く手前の道中に、RUK=予備役士官学校がある(「upseeri」を「将校」と訳した方が良いだろうか)。 建物は古いまま変わっていないようで、スウェーデン統治時代の18世紀を偲ばせる。
 学校の庭には155mm砲K/77なども置かれている。(以下、すべて2018年夏の撮影)
 戦没者慰霊碑。
 学校からさらに歩みを進めると、道端に突然現れるシュトゥルミ!
 継続戦争当時(1944年6月に敵戦車を5両撃破した後)の姿の、正確な再塗装と復元が完了した2003年から何年後かに屋根が設けられ、保存維持が図られている。 戦時中の総撃破数7両、戦後も長く使用された「Ps.531-8」号車、MIAG社製のIII号突撃砲G型である。
 うっわ・・・・・・。
 この固体最大の要注目点は、なんと言っても車体前部上面。
 トランスミッション点検ハッチが、後期のIII号戦車と同じ「左右で大きさの違う各々前開き1枚板」で、通常のIII突G型の「左右同サイズで各々左右横開き」のハッチではない。 また操縦手用バイザー直前の跳弾ブロックの位置もIII号戦車と同じである。

 とはいえ戦車用車台を流用した車体の特徴が他に見当たらず、また記録写真を見てもフィンランド軍の改造や修理とは考えられず、(もともとIII号戦車を生産しており、1943年にはIII号戦車L型やM型の車体で一部突撃砲を生産した)MIAG社での生産時に、なんらかの事情で戦車用部品が流用されたようだ(あるいは単に余剰部品を使った1両なのかも知れない・・・今後の研究課題)。
 (1943年にフィンランドに輸入された車両なので、44年になって作られたという「後送されたIII号戦車を改造した突撃砲」でもない)
 鈴木ではない「Aili」。
 シュトゥルミ愛理を、知っていますか? シュトゥルミ愛理を、覚えてください。
 レストアと再現度は、ものすごい。 大型雑具箱が完璧に再現されている。
 その筋(って、「JSモデル」の時代からモデラーや研究者の間!)では有名な、ユッカ・プルホネン氏が監修したという。
 博物館の正面付近の外観。 向かって左にシュトゥルミ、右には76.2mm野砲K/02。
 奥が兵営(というか士官候補生の宿舎?)になっており、歩哨が門番としてこちらを見ているので、許可なくシュトゥルミによじ登ろうとかすると怒られる(かと思う)。
 博物館の入り口脇には、75mm対戦車砲K/40(車輪のゴムは「穴あきタイプ」。戦時中の写真の数々ではあまり意識しなかったが、フィンランドに供与されたPaK40にはこのタイプが多かったのか?、現存するものでは、やたらこの車輪を見かける)。
 火炎瓶やカサパノス、写真の携帯型火炎放射器から現代のRK-62等の銃火器まで、歩兵火器の数々が展示されている。
 オモテのシュトゥルミ「愛理」から取り外された光学装置など一部は、館内に展示されている。
 無反動砲に対空機関砲、馬車やGAZ-69など軽車両、渡河装備、迫撃砲や野砲など、大型展示物が集められているホール。
 馬車、フィールドキッチン、橇。
 炊事当番がこっち見てる(?)が・・・ん?・・・なんと彼の背後、向かって一番右側は、野戦炊事ソリ!!
 ムショーにコイツの模型を作りたい!いつか必ず作ろうと思う!(←どうかしてる)
 大型車両が並ぶ「屋外展示場」・・・というか、規模的には「庭」と呼びたい。
 T-54戦車(Ps.261-26号車)、Valmet702トラクター、SISU A-45トラック、Lynx「GLX 5900」スノーモービルなどが並ぶ。
 ヴァルメット(現Valtra)の700〜800系トラクターは、その独特の面取り構成の運転台の、このドアがカッコイイ!
 SISUのXA-180装甲車(Ps.675-90号車)、通称:PASI("SI"SU=メーカー(現Patria)の"Pa"nsssaroitu kuljetusajoneuvo=装甲兵員輸送車、だからPASI)。
 壁からニョッキリ!

 博物館の「庭」は博物館外からほぼ丸見えなのだが、T-54戦車を正面から覗こうとすると、こんなオカシイ光景になる(~~)。
 「士官候補生諸君ー!勉強しとるかー!?」(←マネキンの顔の塗り方も勉強して欲しい気がしても・・・黙っておけ(--;))
 「VARVARA SCHANTINの像」。 学校と博物館のほぼ中間地点に立っている、1972年にタンペレの彫刻家ヴェイッコ・ハウカヴァーラVeikko Haukkavaaraがスチールで作った、独特の作風の婦人像。
 で、この「ヴァルヴァラさん」とは一体全体、誰???? 幸い英語でも書かれた案内板が脇にある:

「1920〜39年までの間、毎朝毎夕に士官学校の近くで、しばしば野外演習中でさえ、候補生達にパイやフリッターを売っていた」
「候補生の訓練期日や、演習時の機関銃座の位置などさえ(!)正確に知っていた」
「候補生たちからは『戦術アドバイザー』『もう一人のお母さん』として慕われ、悩みや相談を受けた」

 ・・・という、sotilaskotiを一人でやっていたような女性だったようです。


 (なんかジーーーンと感動してしまった・・・・・とはいえ、「5年3組○○○」やアニメやゲームの影響で、「バルバラ」と聞くとどうしても、「魔女(演:曽我町子)」を連想してしまう日本人はワタシだけではあるまい(!))
 なにやらワイワイやっとるぞ。 兵隊さんが大勢集まっている。 大きなテントを張って「喫煙所」まで作っているぞ!
 何かと思ったら、Sotilaskotiだった。 ちゃんと列を作って順番に入り、食事や休憩といった時間を過ごしている。
 街の中に戻ると、「Kahvila Varvara」という名前のカフェ&ベーカリーがあった。 あの「バルバラさん」に由来するのか聞き忘れたが、いくつか見かけたカフェやレストランのうち、「バルバラさん」の逸話を知った直後では、(腹も減ったので)どうしてもここに入ってみたくなった。
 これは美味い!! Sienipiirakka(キノコのパイ)とkasvispiirakka(野菜のパイ)、そしてコーヒー! クソ暑い夏でも、冷コ(アイスコーヒー)文化が無いけれど!(~~;)
 このpiirakkaは言葉で言えば「パイ」だが、日本語では「キッシュ」と呼んだ方が実際である。


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