T-34-76 1942年生産型・先行量産型(の砲塔)
(R-155/Ps.231-?)


・・・それは現存していた。
フィンランド軍がソ連から捕獲したうちの1輌のT-34-76。
それは1942年にウラル戦車工場で生産が開始された、
一般的に(まぁ、「一般的」という言葉の基準はともかく(~~))
「ラミネート砲塔」と呼ばれる鋳造砲塔が搭載されていた。
しかもそれは、T-34が新たに六角形の砲塔を搭載するようになった
極々初期のモデル、いわば「先行量産型」である。
実戦運用テストも兼ねた戦線投入直後に捕獲されたわけで、
『もしも「第一話」でいきなりガンダムがジオン軍に捕獲されてしまったら』
・・・みたいなもんですか(は?)。

それが未公開ながら、今日も現存していることは「andreaslarka net」で知っていたが、。
ようやくそこを訪れ、触れることができたので詳細をレポート感想文を記しておきたいと思う。
それは2004年5月、パロラの戦車博物館のストックヤードでのことである。
↑問題の砲塔・・・いや、「幻の砲塔」は
我々、日・芬合同取材班の目前に忽然と姿を現した!
主砲が外されていたので、普段は見られないその砲耳取り付け部分など丸見えである。



 戦車や戦車の部品と思しきガラクタばかりが点在するストックヤードの中に、「なんでもありませんよ」とばかりにぽつねんと置かれたこの砲塔! 今まで写真でしかその姿捉えることのできなかったモノとの直面に感動するよりも、唖然とすることしきり!

 表面6面ともに溶接線のようなものが浮き出ているのが最も目立つ特徴であるが、これは溶接線ではなく、鋳造の際の鋳型の分割線である。 決して大きな凹凸ではないが、さりとて決して小さくもない。 「手の平を力いっぱいカーーッと開いたときに浮き出る血管」をイメージされるとよい(?)。 ♪アブドミナル・アンド・サ〜イ(←意味なし)


 帰国後、現像してからなんと、砲塔側面に番号(「550」?)が白く浮き出ていることに気付いた。 ただし現役時代の写真を見る限り、この部分に砲塔番号が描かれたものは無い(継続戦争中に「322」が砲塔側面の後半に描かれたことはある)。 捕獲当時のソ連軍による番号が浮き出したのか、それとも博物館収蔵時の管理用に描かれたものだろうか?
 やはり、今後さらなる実地調査が必要なようだ!


 砲塔天板を右舷側後方より見る。
 天板は完全に「一枚板」である。 一般的なT-34-76の2つの砲塔ハッチの間は、ボルト止めされた板が渡されているのだが。

 この砲塔のもうひとつ際立った特徴のひとつに、KV戦車のそれとよく似たペリスコープとその装甲カバーがある。 これも一般的なT-34には見られない部分である。
 この部分は「捕獲したフィンランド軍が独自に取り付けたもの」という説があるのだが、果たしてそうだろうか。 四方向に向けて設置されたそれをよく見てみると、確かにカバーは「後付け」されたように見える(溶接ラインも汚らしくて(!)、「いかにも」である)。
 しかしその下、天板のペリスコープ位置は、下方に向かって「面取り」がしてある。 兆弾板まで溶接してある。 この面取りは、もちろん死角をクリアするためのものであるが、こうした「小細工」の存在が気になる。
 というのは、本家ソ連のKV戦車でも初期にはこのような面取りは無く、実戦配備後の1942年になってから、「あ、ここを面取りすると死角が減るじゃないか!」と気付いた部分である。 いきなり新型戦車を捕獲・再使用するに当たってフィンランド人が、「ここは面取りした方がよい」ということを知っていただろうか?


 砲塔天板の前方を右舷側より見る。
 回転式の照準ペリスコープ装着基部(と、その外れっぷり)がよくわかる。

 その直後の「問題のペリスコープ」取り付け部の詳細もさらによく見えるだろう。
 T-34-76の六角砲塔というのは、試作のみに終わった「T-34M」という新型戦車用に開発された砲塔がモデルとなっている。 実はこの「T-34M」の砲塔には、「砲塔天板のペリスコープ」を設置しようかなーどうしようかなーとしていたプランがあったようである(初期案であろうか、試作模型では斜め後方に向けた2つのペリスコープが在る)。 T-34・1942年生産型「先行量産型」にのみ、この「T-34Mの果たせぬ遺産」が残ったとは考えられないだろうか??(ただし、ただでさえ写真が少ない1942年生産型。特に、このペリスコープを備えた先行量産型の写真なぞワタシは見たことがないので、この説を断言することは出来かねる)

 【別角度の大きな画像はこちら】


 砲塔の天板を後方から。
 ベンチレータ・カバーの穴が、量産型の一般的なT-34では「4つ」なのに対し、先行量産型では「6つ」あるのである(・・・ということはセータ☆氏から指摘を受けてから気付いた(~~)。砲塔上面のペリスコープ云々の件についても、氏から甚大なるご示唆をいただいた。kitti!)。


 砲塔後部のピストルポート。
 その特徴的な形状と、砲塔表面のお肌の荒れ具合(というほど荒れてはいない)がお分かりいただけるだろう。


 車長用ハッチから内部を(前方に向かって)覗いたところ。
 ハッチ孔内側ぐるりに縁取られているストッパーが、例のペリスコープ基部の部分だけ存在しない(切り取られている?)のがわかる。 後からフィンランド人がカットしたのか? それともロシア人オリジナルの仕業か??


 ボッカリと開いている主砲装着部から内部へ潜入! つまり砲塔後部の内側を見ている図である。 中央に見えているのが、後部ピストルポート。

 ところで表側と違って裏側には、あの特徴的な鋳型のラインが見えないことがわかる。



※我が細君に言わせると、この砲塔へ潜り込んでしゃがみ込んで「うわー、うわー」と声にならない感動の声を上げつついた時のワタシの姿は、(尾篭な表現で申し訳ないが)さながら「ケッタイな簡易トイレで嬉々としながら排便している格好」である(!)。
 ・・・この事実から、六角砲塔はそれまでのT-34砲塔よりも大型化したことがウリだったものの、主砲が搭載された場合の砲塔内部がいかに狭苦しいものか体感できた。 閑話休題。



 砲塔右舷の壁側である。
 ハッキリ言ってよくわからないが、なにかと装着物があったことがよくわかる。


 装填手ハッチを見上げてみたところ。

 ペリスコープ取り付け基部に注意。 フィンランド人が後付けしたものか、はたまたロシア人によるオリジナルの工作か??
 どちらにしても「理に適った構造ではあるが、仕事は素人クサイ」感は否めない。 それだけにロシア人が作ったのかフィンランド人が作ったのか、よくわからなくなってきた(←遠まわしに失礼だな!)。


 砲塔左舷の壁側である。
 砲塔側面中央のスリット:覘視孔(てんしこう)はただの「孔」ではなく、内側に防弾ガラスがはめ込まれることがよくわかる。


 さて、R-115号車のものと思われる(間違いあるまい)車体も残っている。

 車体もまた興味深い特徴を持っているのである。 これについては別項にてレポート雑感をまとめたいと思う。
 特に機関室上部構造物(角型吸気口カバー)に関しては、セータ☆氏が自身のサイト「ギズモロジック・カフェ」にて、非常に興味深い考察を行なっておられるのでご覧いただきたい。


 車体も残っているが、これはR-115号車の主砲じゃないのか!? 何気なく放り出されていたのだが!?
 つい最近も走っていた泥だらけのIII突とT-34-85(!)の間に置かれていたので、よく見ることは出来なかった。

200409.30 M.Kasapanos

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